初代ヨーク公兼初代ノーフォーク公リチャード・オブ・シュルーズベリー(Richard of Shrewsbury, 1st Duke of York and 1st Duke of Norfolk, 1473年8月17日 - 1483年?)は、イングランド王エドワード4世とエリザベス・ウッドヴィルの第6子(次男)である。シュルーズベリーで生まれたことからこの名で呼ばれる。
リチャードの兄弟姉妹には、姉エリザベス、メアリー、セシリー、マーガレットと兄エドワード5世、弟ジョージと妹アン、キャサリン、ブリジットがいた。
1474年にリチャードはヨーク公に叙せられた。1478年1月15日、4歳の時にリチャードは当時5歳のアン・ドゥ・モウブレー(ノーフォーク公ジョン・モウブレーの娘で1476年にモウブレーの広大な地所を相続していた)と結婚した。ノーフォーク公は既に死去していたため、リチャードは1481年にノーフォーク公にも叙せられた。
1483年4月9日に父エドワード4世が死去したため、兄の王太子エドワードが国王になり、自動的にリチャードも推定相続人になった。だが、これは長くは続かなかった。バース・アンド・ウェルズ司教のロバート・スティリントンが、エドワード4世が1461年時点でエレノア・タルボットと秘密裏に結婚していたという証拠を提出したのだ。エドワードが1464年にエリザベス・ウッドヴィルと結婚した時、タルボットはまだ存命であり結婚の法的効力は失われていなかった。この事実を受けてエドワード4世の弟で摂政のグロスター公リチャードは、「エドワード4世とエリザベス・ウッドヴィルの結婚は無効であり、両者から生まれた子供は私生児である」と結論付けた。これが理由で1483年6月25日、リチャードは兄のエドワードともども王位継承権を剥奪された。グロスター公はリチャード3世として即位した。
ヨーク公は即位したリチャード3世によって1483年の中頃にロンドン塔に送られた。その後、リチャードと兄エドワード(「塔の中の王子達」と呼ばれる)の身に何が起こったのかは不明であり、多くの推測が行われている。1490年代に入って、パーキン・ウォーベックという男が、自分がヨーク公リチャードであると名乗った。だがそれは詐称しているだけであった。1674年にロンドン塔で発見された2つの骸骨のうち、小さい方はリチャードのものだったかもしれないが、確たる証拠はない。
官職
先代:
ノーフォーク公御馬伯
Earl Marshal
1476年 - 1483年次代:
ノーフォーク公
爵位
先代:
新設ヨーク公
1474年 - 1483年次代:
消滅
先代:
新設ノーフォーク公
1481年 - 1483年次代:
消滅
カテゴリ: ヨーク家 | 薔薇戦争の人物 | 1473年生
更新日時:2008年6月26日(木)09:40
取得日時:2008/07/07 14:55