イタリア統一運動 (Risorgimento) とは、19世紀に起こったイタリア統一を目的とした政治的・社会的運動である。イタリア統一運動はその時期の決定が難しいが、ほとんどの学者がナポレオン・ボナパルトの統治が終わった1815年のウィーン会議から始まったとしており、1871年の普仏戦争には終わったとしている。最終的に未回収のイタリアがイタリア王国に統合されるのは、第1次世界大戦においてのイタリアの勝利を待ってからであった。
目次
1 概要
2 第1次イタリア独立戦争
3 第2次イタリア独立戦争
4 第3次イタリア独立戦争
5 関連作品
6 語源
7 関連項目
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5世紀の西ローマ帝国の滅亡以来、イタリアとよばれた地域つまりイタリア半島と、そのつけ根のアルプス以南の大陸部分と、サルデーニャやシチリアなどの島々はゲルマン人や東ローマ帝国、イスラーム勢力などの外来勢力に分割され統治されてきた。幾度となくイタリア統一の試みはあったが、世俗国家による統一を阻んだ教皇庁により、イタリアの各国家はオーストリア、スペイン、フランスの後ろ楯でイタリア各国での権力争いが行われていた。
そんな中、フランス領土ではあったがイタリアとも言えるコルシカ島出身のナポレオンは、民衆の蜂起をうまく利用しながら、イタリア半島の統一を達成した。その経験からイタリア人は独自の国家を立ち上げる必要性を感じた。19世紀当初はカルボナリやマッツィーニの青年イタリアを中心とした勢力により、イタリアの統一と封建制度の打倒を目指した。
1848年革命に伴う「ローマ共和国」の失敗後は封建国家であるサルデーニャ王国を中心として、イタリア独立戦争と銘打ってオーストリア帝国の属国となっていた、ロンバルド=ヴェネト王国(旧ミラノ公国、ヴェネツィア共和国の本土領)の奪回などを行った。また、ジュゼッペ・ガリバルディは私設軍隊である千人隊を率いてシチリア島に上陸し、最終的には南イタリアの両シチリア王国を征服した。彼はこの功績によりイタリア統一の英雄とされた。また、トスカーナ、エミリア=ロマーニャ、ウンブリアなどの中部イタリアは住民投票によるサルデーニャ王国への併合となった。この時の各勢力の旗には現在のイタリア国旗である赤白緑の三色旗を基本とした物が用いられた。
1861年にはイタリア王国が建国され、一応の成立を見る。1866年にはヴェネツィア、1870年にローマなどの教皇領の残りを併合し半島の統一は終了するが、イタリア人(イタリア系の文化を持つもの)が住んでいる土地全てを対象としており未回収地問題が残る(未回収のイタリア)。この問題は第二次世界大戦時には他国侵略の理由となった。
イタリア統一戦争とも呼ばれる一連の戦争はカルロ・アルベルト率いる、サルデーニャ王国及びイタリア諸国連合が1848年に開始した。しかしラデツキー将軍率いるオーストリア軍にノヴァーラの戦いで敗北し、さらに翌年カルロ・アルベルトが急死したため統一戦争は挫折した。
第二の統一戦争は、カルロ・アルベルトの息子でサルデーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世によって行なわれた。1859年に開始され、首相カヴールがプロンビエールの密約によってフランスのナポレオン3世の支援を受け、統一戦争最大の難問だったオーストリア帝国をイタリアから追放。また義勇軍として、ガリバルディがシチリア、ナポリを解放。1861年には、ローマ教皇領、ヴェネツィアを除きイタリアは統一され、イタリア王国となった。国王ヴィットーリオ・エマヌエーレはイタリア国王として即位した。