ラジオシャック(RadioShack Corporation - 英語では レイディオ・シャック と発音する, NYSE: ⇒RSH)は、家電販売店のチェーンをアメリカおよびヨーロッパ、南アメリカで展開している企業である。2003年現在、アメリカ国内に7000以上の店舗を持ち、売上高は46億ドルである。ラジオシャックの総本店はテキサス州フォートワースにある。扱っている製品はおもにAV機器、パソコンなどで、他の電器店に比べてPCのパーツやケーブル類も豊富である。
目次
1 最初の40年間
2 タンディ時代
3 ラジオシャック社
4 アメリカ国外での事業
5 外部リンク
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1919年、2人の友人(ノートン・ヒンクリー、およびデイブ・L・タンディ)が、ヒンクリー・タンディ皮革会社(Hinckley-Tandy Leather Company)を創業。革靴の部品をフォートワース地域の靴修理業者に売ることを業務としていた。第二次世界大戦での靴の配給によってそれまでの事業がほとんど立ち行かなくなったため、タンディの息子 チャールズ・D・タンディは革製品製造業への転身を図った。後に財布などの革製品を作るための皮革と道具を販売する事業にも進出。紆余曲折を経て(途中でヒンクリーの名前も社名から消えた)、1963年に大きな変化が訪れた。倒産しかかっていたラジオシャックを買収したのである。
一方、ラジオシャック社は 1921年マサチューセッツ州ボストンで、Theodore および Milton Deutschmann 兄弟が設立した。彼らはアマチュア無線の最先端領域に機器を提供しようとした。店の名称は、当時の船舶の無線装置を収納した小さな部屋の名前から取られている(ラジオシャックとは、アマチュア無線家が無線装置を置いている部屋―通信室も意味する)。
1940年代初期に最初のカタログを出し、その後Hi-Fi音楽市場にも参入した。1954年、ラジオシャックは独自ブランド Realistic の名で製品を販売するようになる。9つの店舗を構え通信販売も広く行ったが、1960年代には苦境に陥った。ラジオシャックは基本的に倒産状態となったが、チャールズ・タンディはラジオシャックと家電の可能性を見抜き 30万ドルで買収した。
1963年、タンディ社はタンディ・ラジオシャックと改称した。タンディはその後エレクトロニクス関連以外の部門を処分した。
ラジオシャックは、コモドールやアップルと共にパーソナルコンピュータ革命を起こした企業である。TRS-80(1977年)、TRS-80 Color Computer(1980年)といったホームコンピュータを製造販売した。さらにタンディはPC/AT互換機市場にも参入した。タンディのPC互換機は安価だがサウンド機能とグラフィック機能が優れていた。しかし、それもVGA規格とサウンドブラスターが業界標準となるまでで、1990年代初めにはタンディの互換機は対抗できなくなって自社ブランドの販売をやめた。
ラジオシャックのもうひとつの大ヒットとして、Family Radio Service 製品がある。通信範囲の狭い携帯無線システムである(日本の法で言う特定小電力無線に相当)。1990年代中ごろから、携帯電話関連のコンポーネントに注力するようになった。
1994年以降のスローガンは「あなたの質問には私達がお答えします」であった。
1995年、タンディは大手電器販売チェーン(ベストバイやサーキットシティ)に対抗すべく、ヒューストンに大型店舗を出店した。これはタンディがそういった大手と肩を並べるようになるかどうかの試金石だった。しかし、思ったように売り上げは上がらず閉鎖することとなった。
2000年5月に、同社は名称から「タンディ」という語を落とし、ラジオシャックに改称。
また 2000年、ラジオシャックはRCAの製品を販売する協定を結び、独自ブランド Realistic や Optimus を廃止する。もっとも 1990年代初期には既に Realistic の名で製品を自社開発することをやめていた。 RCAとの契約が2004年に終わると、ラジオシャックは独自ブランド Accurian を販売品目に加え、一時的に Optimus も復活させた。他にバッテリーについての独自ブランド Enercell がある。
多くのラジオシャック店はまだ1980年代と変化のない製品を扱っている。古いラジオシャック製品はロゴやブランド名からそれとわかる。商品の回転が遅いので、数世代の包装のバリエーションを見かけることも珍しくない。2006年2月、ラジオシャックは400から700の店舗を閉鎖し、停滞していた在庫を清算する計画を発表した。棚卸資産評価減と閉鎖のコストにより5500万ドルから1億ドルの持ち出しとなるが、その一部は2007年に持ち越される。
2006年2月20日、CEOのデイビッド・エドモンドソンは学歴詐称が発覚して辞任した。後任のCEOとしてクレア・バブロウスキが就任。このため、ラジオシャックの株価は3年ぶりの低水準となった。
1970年代から、タンディは子会社の InterTAN を通してイギリスとオーストラリアでラジオシャック型のチェーン店を展開。1986年、InterTAN はタンディから独立。しかし、グループとして事業を行っている。例えば、カタログ上の製品番号が共通になっている。1999年、イギリスのチェーン店は Carphone Warehouse に売却され、数年のうちに一部店舗は閉鎖され、残りは Carphone Warehouseの店舗となった。2001年、オーストラリアのチェーン店は Woolworths Limited の子会社 Dick Smith Electronics (DSE)に売却された。いくつかの店舗は閉鎖され、いくつかは DSE の名前で営業しているが、200以上の店舗がタンディの名前のままで営業している。
かつての子会社 InterTAN がカナダで営業していたチェーン店は2004年にサーキットシティに売却された。しかし、ラジオシャックは InterTAN が契約条項を破ったとして売却の一週間後に訴えた。2005年3月24日、地方裁判所はラジオシャックに有利な裁定を下した。それによると、2005年6月30日までにカナダのラジオシャック店950店舗は「ラジオシャック」のブランド名や独自ブランド製品名の使用をやめなければならなくなった。結果としてそれらの店舗は名称を The Source by Circuit Cityに変更し、ラジオシャックはカナダに新たな店舗を開設することを計画することとなった。
InterTANはその後独自にカナダでチェーン店を展開することを発表した(もともと、カナダのラジオシャック店を全部サーキットシティに売却したわけではなかった)。InterTANはラジオシャックとのライセンス契約が期限切れとなる2010年まで、ラジオシャックがカナダに進出するのを妨害するために法廷闘争に持ち込んだ。すでにラジオシャックとディーラー契約を結んだカナダ国内の店舗もあり、両社の衝突が続いている。
InterTAN はフランスでのラジオシャック店を展開し、Realistic や Archer といったラジオシャックの独自ブランド品を販売していた。