モントセラト
Montserrat
(モントセラトの旗)(モントセラトの紋章)
公用語英語
首都プリマス
最大の都市セーラム
女王エリザベス2世
総督デボラ・バーンズ=ジョンズ
(Deborah Barnes-Jones)
首相ジョン・オズボーン
面積
- 総計
- 水面積率
102km2
極僅か
人口
- 総計(2004年)
9,245人
GDP (PPP)
- 合計(2002年)
2,900万ドル
通貨東カリブ・ドル
時間帯UTC-4
ccTLD.MS
国際電話番号1-664
世界 > 北アメリカ > 中央アメリカ > 西インド諸島 > モントセラト(イギリス領)
モントセラト(Montserrat)はカリブ海の小アンティル諸島に位置する火山島で、イギリスの海外領土である。 1493年にクリストファー・コロンブスによって、スペインのバルセロナ近郊に聳え立つセラト山(モンセラート)から命名した。 公用語は英語、通貨は小アンティル諸島の地域に共通の東カリブ・ドルである。 面積102km2、人口8,995人(2003年)。 スーフリエールヒルズ山( ⇒Soufriere Hills:915m)が島で最も高い山である。 首府は島の南西に位置するプリマス(Plymouth)だが、1995年にスーフリエールヒルズ山の火山噴火で事実上壊滅し、現在はブレイズ( ⇒Brades)に臨時政庁が置かれている。
目次
1 歴史
2 地方行政区分
3 地理
4 経済
5 交通
6 住民
7 注釈
8 外部リンク
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歴史
1493年11月3日、クリストファー・コロンブスが2回目の航海の際に発見し、モントセラト修道院にちなんで「サンタ・マリア・デ・モントセラテ」と命名した。当初スペインは入植せず、代わってイギリスとフランスの興味は増大した。
1625年?チャールズ1世は、植民地開拓を認める特許をイギリスに与える。
1631年?迫害を受けていたアイルランド人のカトリック教徒が、モントセラトとアンティグアに強制的に移住させられる。
1632年?セントキッツ島から来たイギリス人プロテスタント入植者達によってイギリスの植民地となる。
1649年?オリバー・クロムウェルがクロムウェル派のアイルランド占領の間、特にドロイダの包囲攻撃でアイルランドに勝利した後、アイルランドの政治囚はモンテセラトに移送された。
1655年?クロムウェルが来島し歓待を受ける。
1782年?アメリカ独立戦争でフランスが占領する。
1782年?パリ条約でイギリスに返還される。
1958年?西インド連邦の一州となる。
1962年?再びイギリスの植民地となる。
1995年7月18日?スーフリエールヒルズ山(Soufriere Hills)火山噴火で人口の3分の2が国外へ避難。イギリスは救助のため軍艦を派遣する。
1997年-再びスーフリエールヒルズ山が噴火。
2002年?サッカーモントセラト代表がFIFAランキング最下位203位。6月の2002_FIFAワールドカップ決勝と同日に、アザー・ファイナルと称して202位のブータンとアウェイで対決したものの、結果は惨敗し、順位は変わらない。現在はFIFAランキングの計算式の改正により、複数の最下位チームが存在し、その中の一つに位置付けられている。