モンゴル人民共和国
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モンゴル人民共和国
Бугд Найрамдах Монгол Ард Улс


1924年 - 1992年


国旗

公用語モンゴル語
首都ウランバートル
大統領
1990 - 1992ポンサルマーギーン・オチルバト

面積
1,564,116km2

人口
1935738,200人
1956845,500人
19791,595,000人
19892,043,400人

変遷
成立1924年
モンゴル国成立1992年

通貨トゥグルグ

共産主義

共産主義思想
マルクス主義レーニン主義
スターリン主義トロツキー主義
毛沢東思想ユーロコミュニズム

国際組織
コミンテルンコミンフォルム
第四インターナショナル

主な社会主義国
ソ連中国
ユーゴスラビア

人物
マルクスエンゲルス
レーニントロツキー
スターリン毛沢東

出来事
ロシア革命大粛清
スターリン批判ハンガリー動乱
中ソ対立文化大革命
プラハの春天安門事件
東欧革命ソ連崩壊
 ・編・歴 

モンゴル人民共和国(モンゴルじんみんきょうわこく)はモンゴル1924年から1992年まで使用した国号。

モンゴル語ではБугд Найрамдах Монгол Ард Улсと表記し、略称はБНМАУである。


歴史

1921年、ボドー、ダンザン、ドクソムらの指導、スフバートルの軍事的活躍とソ連赤軍の支援で中華民国から独立したモンゴルは、1924年にハーンである活仏(化身ラマ)の死に際して、コミンテルンの指導もあり、モンゴル人民革命党による一党独裁の社会主義国を宣言した。これがモンゴル人民共和国で、ソ連に続く世界で2番目の社会主義国家であった。

その後は一貫してソ連一辺倒の政策を続け、「ソ連の16番目の共和国」とまで呼ばれた。かつて東側陣営に属する社会主義諸国が、「ソ連に従属する衛星国」と表現されることもあったが、この衛星国という表現は、モンゴル学者オウエン・ラティモアがこの時期のモンゴルの国際的地位を表現する用語として使用したものである。

外政では、1939年にはノモンハン事件(ハルハ川戦争)で赤軍と共に日本関東軍)と戦い、第二次世界大戦末期の1945年8月にはソ連と共に満州国に侵攻して勝利した。1946年には中華民国からも独立を承認され、1961年には国際連合への加盟も果たした。この頃から激化した中ソ対立でもモンゴルはソ連を支持し、ワルシャワ条約機構に加盟したモンゴル国内にはソ連軍部隊が展開して、中華人民共和国からのモンゴル防衛と有事の際の北京攻撃の役割を担った。

国内では1930年代以降ホルローギーン・チョイバルサンユムジャーギィン・ツェデンバルによる独裁体制を取った。ソ連のような重工業の発展は起こらなかったが、首都のウランバートルでは軽工業の建設と人口の集中が発生し、それ以外の地域では牧畜業の集団化が起こった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki