モスクワ総主教(モスクワそうしゅきょう)は、ロシアの独立した正教会であるロシア正教会の長たる総主教。正式の称号はモスクワおよび全ロシアの総主教である。
ロシア語:Патриарх Московский и всея Руси
英語:Patriarch of Moscow and All Russia
ロシア正教会と海外に展開するロシア正教会系の教区を管掌する他、ロシア正教会を母教会とする自治教会で新たな首座主教が選立された際に、これを承認する。
目次
1 歴史
2 歴代総主教一覧
3 ロシア古正教会のモスクワ総主教
3.1 ロシア古正教会が正統性を認めるモスクワ総主教
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ロシアの正教会は、1448年以降、事実上コンスタンディヌーポリ総主教庁から独立していたが、その頂点である首座主教は従来通り、モスクワ府主教の位階を有すに止まっていた。
1589年になって、モスクワ大公国の実権を握っていた摂政ボリス・ゴドゥノフはロシア教会の公式の独立を望み、コンスタンディヌーポリ総主教イェレミアス2世、および他の3人の総主教(アレクサンドリア総主教、アンティオキア総主教、アレクサンドリア総主教)の認可を取った。そのことにより、ロシア正教会は独立した正教会と認められ、その頂点にはモスクワ総主教がおかれた。
1721年、教会を統制する事を意図したツァーリ:ピョートル1世によって総主教座はいったん廃止されたが、ニコライ2世のもとで総主教座復活が模索され、ロシア革命直後の1917年に復活した。しかし1925年のティーホン総主教の永眠後1943年までの間、今度はソビエト連邦政府による宗教弾圧政策の一環としてまたしても後任の総主教が選立されない事態を迎えた。1943年になってようやく一定程度の宥和策に転じた当局から総主教の選立が許可された。
現在のモスクワ総主教はアレクシイ2世。
これまでの総主教のうち有名な者には、17世紀初頭にモスクワに侵攻してきたポーランド人に対して祝福を与える事を拒んだゲルモゲン、同じく17世紀初頭のフィラレート(ミハイル・ロマノフの父)、17世紀後半に正教会を結果として分裂させたニーコン、ボリシェヴィキによるロシア革命時に致命した聖ティーホンがいる。
ロシア語名ではなく、教会スラヴ語の再建音を用いて記述する。例えばИосифはヨシフ(ロシア語名転写)ではなくイオシフ(教会スラヴ語再建音)として記述する。ロシア正教会においても日本正教会においても、日常的に奉神礼において用いられるのは教会スラヴ語読み・教会スラヴ語風転写だからである。括弧内は在位年。「ポーランド人への祝福を拒む総主教ゲルモゲン」パーヴェル・チスチャコフによる。1860年に描かれた作品。
イオフ (1589年 - 1605年)
イグナティ (1605年 - 1606年)
ゲルモゲン (1606年 - 1612年)
空位 (1612-1619)
フィラレート (1619年 - 1633年)
イオアサフ1世 (1634年 - 1642年)
イオシフ (1642年 - 1652年)
ニーコン (1652年 - 1658年)
ピチリム(総主教代行:1672年からモスクワ総主教) (1658年 - 1667年)
イオアサフ2世 (1667年 - 1672年)
ピチリム (1672年 - 1673年)
イオアキム (1674年 - 1690年)
アドリアン (1690年 - 1700年)
ステファン・リャザン (総主教代行:1700年 - 1721年)
ピョートル1世により1700年のアドリアン総主教永眠後、後任の選立は許されず、総主教代行ステファン・リャザンが永眠すると総主教座は廃止され、代わって聖務会院が設置された。以降1917年までモスクワ総主教座は空位となる。聖ティーホン(1917年 - 1925年)
聖ティーホン (1917年 - 1925年)
空位(ソヴィエト政権により後任着座が許されず) (1925年 - 1943年)
ペートル・クリチキー:総主教代行 (1925年 - 1936年)、実際の代行の任を果たせたのは1925年まで。