イスラエル諜報特務局(イスラエルちょうほうとくむきょく、ヘブライ語:????? ???????? ????????? ???????)は、イスラエルの情報機関。総理府管下に在り、対外諜報活動と特務工作を担当。イスラエル・インテリジェンス・コミュニティーのメンバー。
ヘブライ語名のハ-モサッド・レ-モディイン・ウ-レ-タフキディム・メユハディムの最初の部分の「ハ-モサッド(?????)」を固有名詞的にイスラエル諜報特務局を表すものとして呼ぶ事はイスラエルで一般的である。また、日本で一般化したモサドという言葉は、ヘブライ語のモサッド(????)が日本語的に訛ったもの。モサッドはヘブライ語で組織や施設、機関といった意味で使われる。
目次
1 概要
2 要員数
3 歴史
3.1 ユダヤ機関とハガナー
3.2 イスラエル独立
3.3 コミュニティー成立
3.4 外務省政治局
3.5 問題点
3.6 モサッド創設
3.7 初代長官シロアッフ
3.8 外務省スパイの反乱
3.9 諜報特務局
3.10 初期の長官
4 歴代長官
5 著名な諜報員
6 関連項目
7 注釈
8 参考資料
9 外部リンク
//
情報収集、秘密工作(準軍事的な活動および暗殺を含む)および対テロリズム活動、逃亡している元ナチス戦犯の捜索などを行い、その焦点は主にアラブ国家などの敵対国に向けられ、組織の拠点は世界の至る所に存在する。ハ-モサッドは「民間のサービス」という名目で、スタッフはすべて、イスラエルの徴兵システムの一部としてイスラエル国防軍に採用されるが、軍隊の階級を使用しない。また、それらのうちの多数は士官である。世界各国にユダヤ人ならではの人脈もあり、諜報活動においては他国の追随を許さない。
局員のリクルートに非常に神経を遣っていることで知られ、リクルートの対象となった人物がスパイとして適格か否かを判断するまで、平均3~4年という時間をかける。リクルートの対象となった人物は知能・知性を中心に、品性、社交性、思想、体力などありとあらゆるデータを徹底的に精査されるという話からも、ハ-モサッドのリクルーターたちの有能さが窺い知れる。
情報機関員数は、その秘密性から正確な数字は分からない。だが、日本の首相官邸ホームページに西側有力情報機関推定数が載っているのでそれを参考にするとイスラエル諜報特務局要員数は1500?2000人位。[1]
イスラエル諜報特務局の組織的源流は主に2つ。1つは英国国際連盟委任統治領パレスチナのハ-イシューブ(ユダヤ人社会)の政府であったユダヤ機関外交部及び諜報部の政治局。ハイム・アルロゾロフ(1931?33)やモシェ・シャレット(1933?48)が歴代局長を務めた。ハ-モサッド初代長官ルーヴェン・シロアッフも政治局員であった。2つめは1940年に創設されたハガナー情報部の英国課である。
1948年5月14日にイスラエル国家独立。軍事組織ハガナーを基にイスラエル国防軍創設。
高級紙ハ-アレッツの諜報問題担当記者のヨッシー・メルマン氏によると、国防軍創設直後の1948年6月30日にイセル・ベーリーらによりハガナーの情報部門のシャイは解体されて、下記の3つの組織に再編された。
外務省
イスラエル外務省政治局(ハ-マフラカ・ハ-メディニィート)
国防省
イスラエル保安局(シェルート・ハ-ビタホン)
イスラエル国防軍作戦部情報課(マフラカット・ハ-モディイン)
メルマン氏はこの日をイスラエル・インテリジェンス・コミュニティーの誕生した日としている。一方ハ-モサッド公式サイトは1948年6月7日にダヴィド・ベン=グリオン首相がハガナー情報部を解体を命令した日としている。
モシェ・シャレット外務大臣(及びベン=グリオン首相)の特務問題顧問であったルーヴェン・シロアッフ監督下の外務省政治局が対外諜報活動を担当。