ミンダナオ島
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ミンダナオ島(Mindanao)はフィリピンルソン島に次いで2番目に大きい。フィリピン諸島は、ルソン島周辺の群島・ヴィサヤ諸島・ミンダナオ島周辺の群島という3つの大きな群島で構成されているが、国土の南三分の一の部分にあたるのがミンダナオ周辺の群島である。ミンダナオ群島はミンダナオ島とその南西のスールー諸島などから構成されており、6つの地方と25の州からなっている。
目次

1 地理

2 歴史

2.1 イスラム教の受容

2.2 スペイン植民地化

2.3 民族構成と独立闘争

2.4 対テロ戦争

2.5 日本との関係


3 主な都市

4 地方と州

5 関連項目

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地理フィリピン地形図

フィリピン諸島の南端に位置し、面積はおよそ9万4630km2である。島は南北に約470km、東西に約520kmで、西部にはサンボアンガ半島が突出し、南西部のスールー海にはスールー諸島が散在し、ボルネオ島へ続いている。東は太平洋フィリピン海)、南はセレベス海である。またカミギン島ディナガット島、シアルガオ島、バシラン島、サマール島、サランガニ諸島といった島々が周囲に散在している。

東海岸(ディウアタ山地)、西海岸および中北部には2000m級の山脈があり、フィリピン最高峰の火山であるアポ山(2,954m)が中央ミンダナオ高地にそびえる。

熱帯の気候であるが、北西太平洋に発生した台風はルソン島やヴィサヤ諸島へ向かうためミンダナオ島にはまれにしか上陸しない。このためフィリピンの他の地域に比べ台風の被害は比較的少なく、農業などにとり有利となっている。

主要な産業は農業林業漁業であり、特に商品作物のプランテーションが名高い。カガヤン・デ・オロにはデルモンテ社の巨大パイナップル農場が、ダバオ市近郊にもドール社による一面のバナナ農場が広がり、ともに加工工場も持ち日本などへ出荷されている。これには、農民が大農園の農場労働者になって身分が不安定になるという問題もある。北部カミギン島などビーチリゾートやダイビングといった観光業で収入を得る地方もあるが、ミンダナオ島西部やスールー諸島はフィリピンでも最も貧しい地方のひとつで、政情不安やテロ集団による観光客誘拐もあり、観光業の発達の障害になっている。


歴史


イスラム教の受容

ミンダナオ島は中国東南アジアの交易中継点となっていたが、南方から来るマレー系人の間にイスラム教が広まりだしたのを機に、1380年ミンダナオ島にもイスラム教が伝わり、後にフィリピン諸島各地に広がった。特に1457年にスールー諸島に成立したイスラム教国・スールー王国は最盛期にはミンダナオ島・パラワン島ボルネオ島北部(サバ州)を統治した。フィリピン諸島におけるほとんどの領土をスペインに奪われたものの、ボルネオ北部をイギリスに獲得される19世紀末まで存続していた。


スペイン植民地化

ミンダナオ島が西洋人と接触したのは、1521年フェルディナンド・マゼランが率いていたスペイン艦隊が寄航した時である。(マゼランは同年、セブ島近くのマクタン島で戦死している。)その後16世紀半ばから17世紀にかけて相次いでスペイン人航海者や兵士、宣教師が来航し、ミゲル・ロペス・デ・レガスピ1565年にセブ島を征服した直後にはミンダナオ島北部もスペインの植民地支配下に入ったが、ミンダナオ島南部はイスラム教勢力が強くスペインの力が及ばなかった。13世紀から現在のコタバト州周辺に築かれたマギンダナオ王国(Sultanate of Maguindanao)は17世紀スルタンのクダラット(Qudarat、ムハンマド・ディパトゥアン・クドラトゥッラー・ナシルッディーン Muhammad Dipatuan Qudratullah Nasiruddin)の治世にはミンダナオ島全土と周辺の島々も征服し、スペイン人植民者も手を出せない存在となった。

マギンダナオ王国やスールー王国は徐々に衰え19世紀には滅亡し、ミンダナオ南部もスペインのフィリピン植民政府によりゆっくりと征服されていった。たとえばダバオ付近がスペインに征服されたのは19世紀も半ばのことである。スペイン人の下、アニミズムを信じる住民のキリスト教への改宗が進んだが、イスラム教の定着が古くスペイン人による征服が進まなかった南部ではイスラム教が勢力を保ち続け、現在に至っている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki