マーフィーの法則(マーフィーのほうそく、Murphy's law)とは、「失敗する余地があるなら、失敗する」「トーストがバターを塗った面を下にして着地する確率は、カーペットの値段に比例する」をはじめとする、先達の経験から生じた数々のユーモラスでしかもペーソスに富む経験則をまとめたものである。
マーフィーの法則をまとめた書籍として、『マーフィーの法則』(1993年刊)と『21世紀版 マーフィーの法則』(2007年7月刊)がある。後者は前者から優れた法則のみを残し、新法則を膨大に追加した原文(英語)併記の最新版である。
目次
1 概略
2 「マーフィーの法則」の様々な表現
3 「マーフィーの法則」の由来
4 日本のマーフィーブーム
5 「マーフィーの法則」に類するもの
6 その他
7 関連項目
8 参考文献
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"Everything that can possibly go wrong will go wrong."「うまく行かなくなり得るものは何でも、うまく行かなくなる」という種類の「経験則」で、アメリカ合衆国空軍が起こりとされる。日本でも1980年頃から計算機科学者を中心に知られ、1990年代前半に広く流行した。最悪の状態を常に想定すべしという面からはシステム開発をはじめ、労働災害予防、危機管理、フェイルセーフの観点からも重要である(→ハインリッヒの法則)。また、「高価なもの程よく落ちる」といった一種の諦観を表す面もある。
⇒英語版によると、
"If it can happen, it will happen."
「起こる可能性のあることは、いつか実際に起こる。」
が基本精神であって、その基本的表現は
"Anything that can go wrong will go wrong."
"Everything that can possibly go wrong will go wrong."
「うまく行かなくなりうるものは何でも、うまく行かなくなる。」
である。歴史的には後述のように、
"If that guy has any way of making a mistake, he will."
「何か失敗に至る方法があれば、あいつはそれをやっちまう。」
があり、更にパワーアップした
"If there's more than one way to do a job, and one of those ways will result in disaster, then somebody will do it that way."
「作業の手順が複数個あって、その内破局に至るものがあるなら、誰かがそれを実行する。」
に変化した。日常生活でも
"It will start raining as soon as I start washing my car, except when I wash the car for the purpose of causing rain."
「洗車しはじめると雨が降る。雨が降って欲しくて洗車する場合を除いて。」
が知られている。
O'Tooleのコメントは大変ふるっている。"Murphy was an optimist!"「マーフィーは楽天家だった!」
「マーフィーの法則」という名は、一般には、オハイオ州デイトンのライトフィールド基地内のライト航空研究所に勤務していたエンジニアのエドワード・アロイシャス・マーフィーJr.(Edward Aloysius Murphy Jr.)大尉の名前を採ったとされる。その逸話は以下のようなものである。「線形減速に対する人間の耐性I(後ろ向きに座った姿勢の予備調査)」のため、1949年5月、カリフォルニア州のミューロック空軍基地に来ていたマーフィーは、トラブルを起こした装置を調べて誰かが間違ったセッティングをしていた事を発見した。ここで彼の言った台詞 "If there is any way to do it wrong, he will." 「失敗する方法があれば、奴はその方法でする」がこの「法則」の土台となった。ノースロップ航空機プロジェクトマネージャーのGorge E.Nicholsがこれを「マーフィーの法則」と命名し、数週間後、前述のプロジェクトで実験台を勤めていたJohn Paul Stapp少佐(当時)が記者会見でこれについて話した。その結果、この「法則」は軍部内に広まり、各種技術雑誌から一般雑誌・新聞の話題へと広がって行った。そして1977年には、Arthur BlochのMurphy's Law and Other Reasons Why Things Go Wrongが出版され、これは全米のベストセラーにまでなり、未だにサイトや単行本、シンクタンクなどで話題を賑わしている、というものである。
1981年の時点で『生きるにも技術がいる−人生工学の発想』にて紹介されていた例があり、1988年には『コンピュータ虫辞林』で、また雑誌『アスキー』誌上でも、ホーテンスS.エンドウによるエッセイ「マーフィーの法則の起源をめぐって」が1990年に掲載されていた。
このように、既に日本でも「マーフィーの法則」は技術者の間で良く知られていたが、大きな話題をさらったのは、前述の原書を翻訳した『マーフィーの法則−現代アメリカの知性』の出版以降である。本書によって「法則」は一般に広く知られるようになり、1993年後半から1994年前半の間、家庭や学校や職場や地域でも「〜の法則」遊びが流行した。
コミックソング歌手の嘉門達夫が、1994年2月2日に、シングル「マーフィーの法則」を発売した。同年、6月1日に、シングル「続・マーフィーの法則」を発売した。これを期にマーフィーの法則は、一躍有名になった。
「マーフィーの法則」がアメリカと日本でブームになった時は、各々未曾有の政治的・経済的危機に見舞われていて、そこからの脱出方策も不透明な情況であった。しかし、昨今の『サラリーマン川柳』のように客観視し笑い飛ばしている面や、畑村洋太郎の提唱・リードする失敗知識データベース・失敗学会のように逆手に取って活用している側面もあった。同様な観点からの批判として、桔梗清は著書で「力動精神医学としての誘導自己暗示(療法)」を紹介している。