マサダ
(イスラエル)
マサダ
(英名)Masada
(仏名)Massada
登録区分文化遺産
登録基準文化遺産(3),(4),(6)
登録年2001年
拡張年
備考
公式サイト ⇒ユネスコ本部(英語)
世界遺産テンプレートを使用しています
マサダ要塞、マサダ(ヘブライ語: ?????、要塞の意)は、イスラエル東部、死海西岸近くにあるユダヤ属州時代の要塞の遺跡。ユダヤ戦争におけるユダヤ人の集団自決で知られる。 2001年に世界文化遺産に登録された。
目次
1 歴史
2 現在
3 登録基準
4 脚注
5 関連項目
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東経35度21分13秒北緯31度18分55秒に位置する標高約400メートルの岩山にある。
紀元前120年頃に要塞が建設され、後にヘロデ大王が離宮兼要塞として改修し、難攻不落と言われた。
66年にローマとの戦争を始め(ユダヤ戦争)、70年のティトゥス率いるローマ軍によってエルサレムが陥落した後、熱心党員を中心としたユダヤ人967人がエルアザル・ベン・ヤイルに率いられてマサダ要塞に立てこもり、ローマ軍15000人がこれを包囲した。ユダヤ人たちは2年近く抵抗したが、73年についにローマ軍によって攻め落とされた。陥落直前にユダヤ人たちは、投降してローマの奴隷となるよりは死をと、2人の女と5人の子供を残して全員が集団自決したという。これによってユダヤ戦争は完全に終結した。 [1]
73年のローマ軍による破壊後は長い間その所在が分からなくなっていたが、1838年にドイツ人研究者によって発見された。
現在、同地はイスラエル国内でエルサレムに次ぐ人気の観光地となっており、観光用のロープウェーが整備されている。その歴史的経緯から現在でもなお多くのユダヤ人にとって特別な思い入れのある場所であり、ユダヤ人全滅の悲劇を再び繰り返してはならないという決意から、イスラエル国防軍の入隊式がマサダ頂上で行われ、国家への忠誠を誓う。
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。
(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
(6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と、直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。
脚注^ フラウィウス・ヨセフス『ユダヤ戦記』参照
イスラエルの世界遺産
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更新日時:2008年8月1日(金)11:51
取得日時:2008/10/07 02:37