ポートモレスビー作戦
日本軍の進路
戦争:太平洋戦争
年月日:1942年3月7日?1942年10月10日
場所:ニューギニア島東部パプア半島
結果:アメリカ・オーストラリアの勝利
交戦勢力
日本アメリカ合衆国
オーストラリア
指揮官
堀井富太郎少将ダグラス・マッカーサー中将、ロバート・L・アイケルバーガー中将、トーマス・ブレーミー大将
戦力
11,0002,000
損害
戦病死 6,500戦病死 900
ニューギニアの戦い
珊瑚海 - ポートモレスビー - ラビ - ブナ・ゴナ - ビスマルク海 - カートホイール作戦 - ラエ・サラモア - サラワケット越え - フィンシュハーフェン - ホーランジア - ビアク - 渾作戦 - アイタペ
ニューギニア島
ポートモレスビー作戦(ポートモレスビーさくせん)とは、太平洋戦争のニューギニア戦線において、日本軍と連合軍とがポートモレスビーの支配を巡って行った戦闘である。スタンレー作戦、ココダ道の戦い(Kokoda Track campaign)とも呼ばれる。
目次
1 背景
2 日本軍の作戦行動
3 米・豪軍の作戦行動
4 経過
4.1 上陸
4.2 転進と反撃
5 結果とその後
6 注釈
7 参考文献
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1942年3月7日、ニューブリテン島のラバウルを攻略した日本陸軍の南海支隊である歩兵第144連隊の1個大隊がサラモアに上陸し、同日に海軍陸戦隊がラエへ上陸した。
同年5月、日本陸軍と日本海軍は協力してポートモレスビーを攻略するため、第1航空艦隊の一部と第4艦隊で「MO作戦」の実施を決定し、ソロモン諸島ツラギの攻略は妨害こそあったが成功した。しかし、肝心の海路によるポートモレスビー攻略を珊瑚海海戦でアメリカ海軍に妨害され、日本海軍は中止してしまった。さらに、同年6月に生起したミッドウェー海戦における日本海軍の敗北が影響して、ソロモン諸島・ニューギニア方面の拠点であるラバウル基地は一層重要度を増し、それは、ラバウルの安全を脅かすポートモレスビーの攻略が重要性を増すのと同義であった。
日本陸軍は東部ニューギニアのオーエンスタンレー山脈(最高峰4,000メートル)を越え、直線距離にして220キロを陸路で侵攻するポートモレスビー攻略作戦「レ号作戦(別名、スタンレー作戦)」を実施するため、新設された第17軍に南海支隊(堀井富太郎陸軍少将)を編入、第17軍に対して作戦名をリ号研究と称した偵察を命じた。
南海支隊は1個連隊(歩兵第144連隊、高知)、1個山砲大隊(第55師団の一隊)などで編成されていたが、サモア諸島及びフィジー諸島攻略(FS作戦)に投入される予定であった連隊(歩兵第41連隊、福山)とマレー作戦に投入されていた工兵連隊(独立工兵第15連隊)が南海支隊に編入され、南海支隊の強化を図った。
1942年8月16日にラバウルに寄港(歩兵第41連隊第2大隊長小岩井光夫少佐の戦記では17日[1])した後、ブナ(バサブア)へ上陸、陸路でポートモレスビーへ進撃し、大本営参謀辻政信中佐の影響で第17軍は7月18日に攻略命令を出していたため、豪軍に対して積極的攻撃が行われた。
1942年6月、ミッドウェー海戦で勝利を収めたアメリカ海軍は逆にラバウルを奪還するため、手始めにソロモン諸島に拠点を構えようと、ガダルカナル島占領を目指すウォッチタワー作戦を計画。同年8月7日、ガタルカナル島に上陸した(ガダルカナル島の戦い)。
一方、フィリピンを脱した南西太平洋方面連合軍司令官ダグラス・マッカーサー陸軍中将(後に大将)はフィリピン奪還のためにオーストラリアを拠点にした反攻を計画した。