ボブ・ペティット
名前
本名ロバート・E・リー・ペティット・ジュニア
愛称ボブ
カタカナボブ・ペティット
ラテン文字表記Bob Pettit
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
誕生日1932年12月12日
出身地ルイジアナ州・バトンルージュ
身長206cm
体重109kg
選手情報
在籍チームミルウォーキー・ホークス
ポジションパワーフォワード
背番号9 (永久欠番)
■Template(■ノート ■使用法)■バスケットボールpj
ロバート・E・リー・ペティット・ジュニア(Robert E. Lee Pettit Jr., 1932年12月12日 - ) 通称ボブ・ペティット(Bob Pettit) はアメリカ合衆国の元バスケットボール選手である。プロバスケットリーグNBAのミルウォーキー・ホークスで活躍し、ホークスのNBAチャンピオンシップ優勝の原動力となった往年の名選手である。NBAでは1956年に最優秀選手賞 (MVP)が始まったが、その最初の受賞者である。1971年にバスケットボール殿堂入りした。
目次
1 経歴
1.1 カレッジ時代
1.2 NBA時代
2 成績および受賞歴
2.1 通算成績
2.2 主な受賞トピックス
3 関連項目
4 脚注
5 外部リンク
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ルイジアナ州バトンルージュで生まれ育ったペティットは地元バトンルージュ高校を1950年に卒業し、ルイジアナ州立大学に進学した。大学ではチームをNCAAトーナメントのベスト4に導き50連勝などの実績を残した。大学最終年で彼が残した数字は現在でも、得点が5位、リバウンドが4位と未だにずば抜けたものである。1954年の対ルイジアナカレッジ戦では60ポイントをあげ、ジョージア大学戦では57ポイントをあげている。1974年2月24日にサウスイースタン・カンファレンスの歴史上偉大なプレーヤーにも選出された。
卒業後ペティットは1954年のNBAドラフトで1巡目全体2位で当時ミルウォーキー・ホークス(現アトランタ・ホークス)に指名されNBA入りする。 前評判に違わず見事な活躍をみせたペティットは初年度から20.4ポイント、13.8リバウンドをあげ1955年のルーキー・オブ・ザ・イヤーに選出される。 ミルウォーキーからセントルイスにホークスが本拠地を移した翌シーズン、ペティットはさらに活躍をみせる。彼は彼がプレーした11年間の全てNBAオールスターゲームに選出されたが、この年はオールスターMVPに輝いた。さらに25.7ポイント、16.2リバウンドをあげこの年から始まった最優秀選手賞 (MVP)の最初の受賞者に選ばれた。
ペティットを中心にホークスは最初の黄金期を築きつつあり、翌シーズンには初のNBAファイナルまで進んだ。相手は当時ビル・ラッセルを擁したボストン・セルティックスだったが、ペティットは第6戦で50ポイントを叩き出してセルティックスを打ち負かした。これは当時のプレーオフ新記録であり、現在でもホークスのフランチャイズレコードである。
その後もペティットを中心としたホークスは強豪と呼ばれる存在になり1965年に彼が引退するまで、プレーオフに進出できなかったのは1961-62シーズンのみである。また、1962年のヘッドコーチ不在時期に6ゲームプレイングマネージャーとしてチームを指揮した。[1] またNBAで20,000ポイント(792ゲーム)に到達した最初の選手であり、キャリアアベレージ26.4ポイント、12,849リバウンドという数字も当時は新記録(現在は14位)だった。またプレーオフゲームアベレージの25.5ポイントは歴代9位の数字である。
引退後、1970年にNBA25周年記念1stチーム選出、1971年殿堂入り、1980年NBA35周年記念1stチーム選出、1996年NBA50周年記念史上偉大な50選手に選ばれた。
得点、リバウンド、アシストなどの成績は下記の通りである。[2]
レギュラーシーズン (11シーズン)プレーオフ (9シーズン)
792試合総計ゲーム平均40分平均88試合総計ゲーム平均
ポイント数20,88026.4[3]27.22,24025.5