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ボウリングレーン長崎市にある「わが国ボウリング発祥の地」の石碑
ボウリング(bowling)とは、プレイヤーに対して頂点を向けて正三角形に並べられた、10本のピンと呼ばれる棒をめがけてボールを転がし、ピンを倒すスポーツ。日本での漢字表記は十柱戯。ワールドゲームズ参加競技、アジア競技大会の正式競技種目、国民体育大会の競技である。
目次
1 概要
2 起源
2.1 日本
3 レーン・器具
3.1 レーン
3.2 ピン
3.3 ボール
3.4 ピンセッター
4 点数の計算法
5 用語
5.1 主に器具・施設に関するもの
5.2 主に投球・得点に関するもの
5.3 特殊な残り方の呼び名
6 トリックプレイ
7 ボウリングにまつわる芸術・学術作品
8 ボウリングのTV放送
9 300本ボウリング
10 注釈
11 関連項目
12 外部リンク
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1ゲームは10のフレームから構成される。第1〜9の各フレームは2回投球できる。1投目にストライク(1投で10本のピン全てを倒すこと)が出た場合はその1投のみで次のフレームに進み、それ以外の場合は残ったピンをそのままにして2回目の投球を行う。第10フレームは、ストライクもしくはスペアが出た場合には計3回の投球を、それ以外の場合は2回の投球を行い、ゲーム終了となる。
通常、ボウリングを行うための専用施設であるボウリング場で行われる。ボウリング場は中にいくつものレーンがあり、ピンを自動的に並べる機械やボールをプレイヤーの元に送り返してくる仕組みなどを備えているのが普通である。様々な重さのボールの他に、専用の靴なども貸し出している。
もともとボウリングは倒すピンを災いや悪魔に見立てて、それを沢山倒すことが出来たならば、その災いなどから逃れることが出来るという一種の宗教儀式であった。その歴史は古く、紀元前5000年頃には古代エジプトにおいて古墳から木でできたボールとピンが発掘された[1]事から、その頃からもボウリングに似たようなものがあったとされている。
しかし倒すピンの数やそれに応じた並べ方も場所や地域によってさまざまであった。それを中世ドイツのマルティン・ルターが倒すピンを9本にし、並べ方もひし形に統一していったことが近代ボウリングのルールの原型になっていったと考えられている。9本という決められた数のピンを倒すという行為は、やがてナインピンズ・ボウリングという一つのスポーツとして派生し宗教家の間では人気のあるスポーツとして栄えた。このことから宗教革命家と知られるルターは、現在のボウリングの基本的なルールを統一した意外な功労者でもあるといえる。
17世紀になると多数の宗教家(清教徒)たちがアメリカに移住した事で、アメリカでもボウリングが盛んになった。アメリカでは更にボウリングを面白くするためにピンの数を10本に増やし、並べ方も正三角形に変化していったのが現代のボウリング(テンピンズ・ボウリング)だとされている[2]。なおドイツの一部の地域では、いまだにその名残としてピンの数が9本でプレイする地域も存在する。
日本では1861年6月22日に、長崎の大浦居留地に初めてのボウリング場「インターナショナル・ボウリング・サロン」が開設された。これを記念して、現在の6月22日はボウリングの日とされており、その日限定で割引サービス等をやっているボウリング場もある。なお、当時、坂本龍馬が長崎に居留していた英国人貿易商グラバーと交流があったことから、日本ボウリング資料館の開館を報じるボウリングマガジン誌において、龍馬が日本人初のボウリングプレイヤーであるかもしれないという願望を含んだ記事が掲載されたが、そのような事実があったという確たる証拠が存在しているわけではない。