公用語ベトナム語
首都ハノイ
主席
-ホー・チ・ミン
面積
157,880km?
人口
13,000,000人
変遷
宣言1945年9月2日
承認1954年
消滅1976年7月2日
通貨ドン
ベトナム民主共和国(ベトナム語:Vi?t Nam D?n Ch? C?ng H?a、漢字では越南民主共和と表記)は、1945年のベトナム八月革命によって、ベトナムに成立した、東南アジア最初の共産主義国家。第一次インドシナ戦争の結果、1954年以降は暫定的に、「北緯17度線」以北のベトナムのみを統治した為、北ベトナムと別称される。1976年に南ベトナムを吸収併合したことで、ベトナム社会主義共和国として発展的に消滅した。
歴史
1940年代前半まで仏領インドシナの一部であったベトナムでは、1945年3月、日本軍の「仏印処理」でフランス植民地政府が解体され、親日傀儡国家であるベトナム帝国が成立した。その後、8月に日本が連合国に降伏すると、ベトナム独立同盟会(ベトミン)はインドシナ共産党の主導下で八月革命を引き起こし、ベトナム帝国からの権力争奪闘争を各地で展開した。9月2日、ホー・チ・ミンがハノイでベトナム民主共和国の独立を宣言した。
連合国の方針により、日本軍の武装解除のため仏領インドシナ北部には中華民国軍が、南部にはイギリス軍が進駐した。中華民国軍の影響下で、ベトミンはベトナム国民党などとの連立内閣を組織しており、翌1946年の総選挙後もこれを維持していた。しかし南部ではイギリス軍がサイゴンに上陸し、さらに旧植民地の再支配を謀るフランス軍が加わり、1945年9月末にはサイゴンの支配権を奪取したことで、ベトミンとの武力衝突が発生した。ベトミンはフランスとの交渉による解決を試み、1946年3月にはフランス連合
内での独立が認められた。だが、フランスはベトナムが統一国家として独立することを拒否し、コーチシナ共和国の樹立などベトナムの分離工作を行なったため、越仏双方が抱く意見の相違は解決されず、同年12月にハノイで越仏両軍が衝突したことで、第一次インドシナ戦争が勃発した。開戦当初はフランス軍が優勢であった。だが、山岳地帯に引きこもって軍隊を組織したベトミンは、フランス軍との戦力差を考慮してゲリラ戦で対抗した。戦争の長期化に直面したフランスは1949年6月、ベトナム民主共和国に代わるベトナム人国家としてベトナム国をサイゴンに成立させ、国家承認した。ベトナム国がアメリカ、イギリスからも国家承認を受けたのに対し、1950年にはベトナム民主共和国が社会主義国家のソ連と中国から国家承認を受け、両国からの援助を得ながら抗戦を続けた。こうしてこの戦争は、冷戦の体制競争という側面も有するようになった。
第一次インドシナ戦争の長期化は、戦争に疲れたフランス国民の厭戦感を高めた。その為、フランス政府は戦争終結に向け、1954年4月からジュネーヴ会議を開始した。そして、ディエンビエンフーの要塞陥落を受けて、同年7月にジュネーヴ休戦協定を締結した。協定により、ベトナムの国土は北緯17度線で南北に分割され、北ベトナムをベトナム民主共和国が、南ベトナムをベトナム国が(1955年まで)統治することになった。しかし、恒久的な分割を避ける為、1956年に再統一の為の全国選挙を実施することも決められた。
ベトナムの歴史
伝説時代
(甌?国)
北属期(秦統治)
南越国
北属期(漢統治)
(徴氏姉妹)
チャンパ王国北属期
(六朝統治)