主な出来事
仏領インドシナ成立
仏印進駐 ・ 太平洋戦争
ベトナム八月革命
第一次インドシナ戦争
ベトナム戦争 ・ 中越戦争
ドイモイ
ベトナム共産党
共産主義
「国家」
ベトナム民主共和国
ベトナム国
ベトナム共和国
南ベトナム共和国
自由ベトナム政府
ベトナム社会主義共和国
人物
ホー・チ・ミン
グエン・ミン・チェット
グエン・タン・ズン
ノン・ドゥック・マイン
ベトナム共産党(ベトナム語:??ng C?ng s?n Vi?t Nam, 漢字:黨共産越南)は、ベトナムの政党。現在では市場経済を容認しているものの、依然、マルクス・レーニン主義やホーチミン思想を国の指導理念として掲げ、一党独裁を敷いている。
目次
1 名称
2 歴史
3 機構
4 歴代共産党総秘書(書記長)
5 外部リンク
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名称
1930年 ベトナム共産党(便宜的に旧ベトナム共産党とする場合もある)
1930年 - 1945年 インドシナ共産党(ICP)
1945年 - 1951年 (解散)
1951年 - 1976年 ベトナム労働党
1976年 - ベトナム共産党(CPV)
1930年2月3日、コミンテルンから派遣されたホー・チ・ミン(胡志明)がベトナム国内の複数の急進的社会主義政党を糾合して香港でベトナム共産党を創設。同年10月の第1回中央委員会でコミンテルンの指示を受けてインドシナ共産党と改称し、初代書記長にチャン・フー(陳富)を選出した。1935年には第1回党大会をマカオで行なった。
1945年のベトナム民主共和国(北ベトナム、初代国家主席はホー・チ・ミン)成立後、「インドシナ戦争をより広範な基盤の上で展開するため」としてベトミン(ベトナム独立同盟会)に合流し、インドシナ共産党は解散。1951年2月にはベトナム北部のトゥインクワン(宣光)で第2回党大会が開催され、ベトナム労働党として再発足する(ホー・チ・ミンが党主席)。1960年の第3回党大会は首都のハノイ(河内)で開かれ、この中で南ベトナムの解放と北部における社会主義建設が謳われた。1969年9月2日にホー・チ・ミンが死去。党主席は空位となり、党第一書記のレ・ズアン(黎笋または黎筍)が党首の職務を継承した。北ベトナムがベトナム戦争に勝利すると、ベトナム労働党は第4回党大会を開き、名称をベトナム共産党に改称した。
しかし、その後のカンボジアへの軍事介入による国際的孤立が著しい経済困難を招き、1986年7月、レ・ズアンが死去するとチュオン・チンが書記長になったが、12月の第6回党大会でドイモイ(改革開放)路線が採択され、グエン・バン・リンが書記長になった。以後は中国に倣った一党独裁制の維持と外国投資導入による経済成長の追求が基本政策になっている。1991年にはド・ムオイが書記長、1997年からはレ・カ・フュー、2001年からはノン・ドゥック・マイン(儂徳孟)が書記長を務めている。
2006年4月に開かれた第10回党大会では、その直前に発覚した汚職事件で交通運輸省次官が逮捕され、悪化する党官僚の腐敗に対するノン・ドゥック・マイン書記長の責任を問う声が強まったため、反対派がグエン・ミン・チェット(阮明哲、当時ホーチミン市党委員会書記)を立てて書記長を中央委員の自由選挙で選ぶことが決まった。直前にチェットが辞退したため投票は行われずマイン書記長は再任されたが、党員の意識変化を象徴する出来事としてベトナム国外で大きく伝えられた。