主な出来事
仏領インドシナ成立
仏印進駐 ? 太平洋戦争
ベトナム八月革命
第一次インドシナ戦争
ベトナム戦争 ? 中越戦争
ドイモイ
「国家」
ベトナム民主共和国
ベトナム国
ベトナム共和国
南ベトナム共和国
自由ベトナム政府
ベトナム社会主義共和国
人物
ホー・チ・ミン
グエン・ミン・チェット
グエン・タン・ズン
ノン・ドゥック・マイン
ベトナム八月革命( - はちがつかくめい)は、1945年8月、ベトミンが行った総蜂起による権力奪取。その結果、ベトナム民主共和国が成立したが、フランス植民地主義のインドシナ復帰によって血みどろの抗争となり、第一次インドシナ戦争にもつれ込んだ。
目次
1 ベトミンの結成
2 日本軍のクーデター
3 総蜂起
4 占領軍の進駐
5 戦争の勃発
6 関連項目
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フランスの植民地支配からの独立を目指すインドシナ共産党は第二次世界大戦勃発やフランスの対独降伏によって動揺するインドシナ植民地政府に対する人民蜂起を指導したが、いずれも失敗した。やがてヴィシー政権と結んだ日本軍の仏印進駐により、インドシナ共産党は日仏のファシズムと直面することとなった。
1941年2月、コミンテルンの指導を受けたホー・チ・ミン(胡志明)が中国経由で帰国すると、中越国境に近いカオバン省(高平省)の山中に基地を置き、直接ベトナム革命を指導することになった。ホー・チ・ミンはより広範な人民大衆を結集して反仏抗日民族統一戦線を樹立するために同年5月19日、ベトナム独立同盟、略称ベトミン(越盟)を結成した。ベトミンは重慶駐在の米国情報機関OSSから武器援助を受けるなどしてゲリラ闘争を行い、山中に革命根拠地を拡大したが、平地の日仏軍には対抗すべくもなかった。
1945年に入ると、フランスのヴィシー政権は崩壊し、太平洋における日本の敗色も濃くなってきた。インドシナ植民地政府の動揺を感じた駐留日本軍は同年3月9日、明号作戦を発動してフランス植民地軍を武装解除し、インドシナ植民地政府を解体した(仏印処理)。3・9クーデターである。日本の印度支那派遣軍は、仏領インドシナ保護国の地位にあった阮朝皇帝の保大帝(バオダイ帝)に独立を宣言させ、チャン・チョン・キム(陳重金)を首班とする傀儡国家ベトナム帝国を樹立した。ただしこれは印度支那派遣軍の独断によるもので、日本政府からの国家承認は受けていない。
この年、ベトナムは不作で食糧不足が深刻となり、連合軍の空襲もあって食料輸送も滞り、多数のベトナム人が餓死、ベトナム人の反日情緒が高まった。好機到来とみたホー・チ・ミンは同年5月、ヴォー・グエン・ザップ(武元甲)将軍を司令官とするベトナム解放軍を発足させ、各地で民族解放委員会を組織して保大帝のベトナム帝国と対峙した。
1945年8月半ば、日本のポツダム宣言受諾は近いとの情報を得たホー・チ・ミンは8月13日夜、総蜂起の指令を発した。8月17日にはハノイ(河内)でチャン・チョン・キム政府を擁護する集会がベトミンの扇動によって乗っ取られ、ベトナム完全独立を叫ぶ大衆デモに移った。19日にはハノイのベトミンは保安隊や警察署など政府機関の接収に成功した。保安隊や警察も大勢を見てベトミン側に付く者が増えていった。親日政権が潰されていくのを目の前にしても、すでに降伏を命令されている日本軍はただ事態を傍観するばかりであった。
8月23日にはフエ、25日にはサイゴンでも人民蜂起によってベトミンが権力を奪取した。