ブーゲンビル島( -とう、Bougainville Island)は、パプアニューギニアの島。島名は探検家のルイ・アントワーヌ・ブーゲンビルにちなむ。
目次
1 地理
2 歴史
3 住民
4 産業
5 日本との交流
6 外部リンク
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ニューギニア島の東に位置し、ソロモン諸島の中で最大の面積を誇る(10,049K?)。火山性の島で、最高地点は3100mのバルビ山。
人口は約18万人で、中心都市はブカ。
1885年にドイツの支配下に置かれ「ドイツ領ニューギニア」の一部となる。その後1914年にオーストラリアが占領するも、1918年から国際連盟の信託統治領となる。
第二次世界大戦中は、アメリカ、オーストラリア、日本などによって占領される。ブーゲンビル島はアメリカ陸軍航空隊(USAAF)、オーストラリア空軍(RAAF)、ニュージーランド空軍(RNZAF)の各軍にとって重要な空軍基地となる。
1943年4月18日、前線の視察に向かう山本五十六が、この島の上空で搭乗機をアメリカ陸軍航空隊P-38戦闘機に撃墜され、戦死する事件が起こる(海軍甲事件)。同年11月2日には島にアメリカ軍が上陸し、以後終戦まで戦闘が続いた(ブーゲンビル島の戦い)。結果として多数の死者を出した為、日本ではブーゲンビル島(当時は「ボーゲンビル島」と表記された)を指して墓島と呼ぶ者も現れた。
その後国際連合の働きかけにより、1945年にパプアニューギニアの一部として独立を果たす。ブーゲンビル島の旗
しかし1975年、「北ソロモン共和国」(または「ブーゲンビル共和国」)を国名とする分離独立運動が起きる。この背景には島にある世界最大級の銅山、パングナ銅山を巡る事情が絡んでいる。当時の銅山は「ブーゲンビル銅鉱会社(Bougainville Copper Limited)」という形でオーストラリアの実質的な支配下にあり、島の住民が補償を求めて抗議運動を起こし、それが引き金となったのである。
1988年、島の分離独立を求めるブーゲンビル革命軍(BRA)は銅山妨害の運動を開始し、翌年に銅山は暴動を受けて閉鎖に追い込まれる(ブーゲンビル銅鉱会社は現在、リオ・ティント・グループが保有しており、パプアニューギニア政府と操業再開の交渉を行っている)。BRAは地理的に近いソロモン諸島の支持も受けてパプアニューギニア政府との内戦を展開するが、1998年、オーストラリアとニュージーランドの仲介の下、政府と停戦に合意する。
2005年6月15日に初の自治政府が設立され、ジョセフ・カブイ(Joseph Kabui)が大統領に就任する。同年7月25日には、分離独立運動のリーダー、フランシス・オナ(Francis Ona)が病死した。
オーストロネシア語系のメラネシア人が中心である。ブーゲンビルクライシスを契機にブーゲンビル人以外は住めなくなった。それまで主にBCL(ブーゲンビル銅鉱山)、その関連の仕事や州政府などに従事していた人(PNGの中でもブーゲンビル以外の出身者)がいたが現在は全くと言ってよいほどいない。
この島では、英語(ピジン英語)の他にロトカ語が話されている。
長期に渡る内戦のためインフラは疲弊しており、政治経済の中心は島の北にあるブカ島に移っている。本島ではコプラやコーヒーの生産が中心だが、銅山の開発も進められている。
2006年10月、ジョセフ・カニシウス・カブイ大統領、ニック・ペニアイ議会議長、アルペート・キナニ領土開発長官、デニス・クイニ儀典長の4名がブーゲンビル自治政府として初来日。浅草観光や靖国神社参拝、トヨタ工場見学などを行った。カブイ大統領は2008年6月7日心臓発作のため亡くなった。(享年54歳)
外部リンク
⇒Bougainville Copper Project
⇒Bougainville Updates
⇒ブーゲンビル銅鉱会社(Bougainville Copper Limited)公式HP
⇒消滅した国々―ブーゲンビル共和国
⇒UN Map #4089 国際連合が発行した、ブーゲンビル島とその周辺の地図。PDF形式
カテゴリ: パプアニューギニアの島
更新日時:2008年6月28日(土)04:10
取得日時:2008/07/20 15:28