ブリュッセルはベルギーの首都。フランス語では Bruxelles, オランダ語では Brussel, ドイツ語では Br?sselである。沼、湿地(bruoc・ bruc ・ broek)家(sella ・ zele)という単語から来ている。日本では英語読みのブラッセルと表記されることもある。フランス語の表記をフランス語の発音規則どおりに読むとブリュクセルに近い発音になる。フランスではそのように発音する人も多いが、ベルギーではフランス語でもブリュセルに近く発音される。
欧州連合(EU)の本部が置かれているため、欧州の政治の一大拠点となっている。
目次
1 概要
2 歴史
3 ブリュッセルにある主な機関
4 見所
5 交通
6 ブリュッセル出身の人物
7 関連項目
8 姉妹都市
9 外部リンク
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ベルギーの連邦構成主体の一つであるブリュッセル首都圏地域は19の行政区から構成され、その一つがブリュッセル=ヴィル(Bruxelles-ville)である。これを狭義のブリュッセルと言うことが多い。北緯50度50分37秒、東経4度21分27秒。
ブリュッセルはフランス語とオランダ語の2言語地域で、市民はフランス語話者とオランダ語話者に分かれるため、街中にある看板、標識、駅名などは、フランス語、オランダ語の二ヶ国語表示が義務付けられている。市民の8割はフランス語話者である。話す言語によって通う学校などが異なり、フランス語、オランダ語話者に対する文教、言語政策についてはそれぞれフランス語共同体政府とフランデレン地域政府が担当する。ブリュッセルはフランデレン地域の首都でもあり、フランデレン地域の政府と議会がおかれている。近年はアフリカ、アジア、中近東などからのイスラム系の移民が非常に増加し、移民系の住民が過半数を占めると言われる。近年生まれた男子に最も多く付けられた名前は、イスラム系の「ムハンマド」である。
都市名は、オランダ語で「沼の村」を意味するブルークゼーレに由来するといわれ、新石器時代の紀元前2250年ごろから農耕民族が住んでいた。やがてローマ文化をうけいれたガリア人が、センヌ渓谷の沼沢地に定住てローマ帝国の属領とし、紀元前1世紀から2世紀にかけて荘園を増やしていった。
12世紀には、地理的な利点を最大限に活かし、交易と交通の中継点として商業や手工業で栄え、職人や貿易商たちは事業を確立していき、貴族たちは要塞や城を築いて土地の所有権を宣言した。1312年と1356年にはブラバント公の特許状を得ることで、ブリュッセルの交易や産業はさらに発展した。
1383年、ブラバント公国の宮廷がルーヴァンからこの地に移され、その後4世紀間にわたって変転するヨーロッパの政治の中心地として繁栄した。1430年にブルゴーニュ公国の支配下に置かれ、ついで1477年以降はハプスブルク家の領地となった。
1555年にハプスブルク家の神聖ローマ皇帝兼スペイン王カール5世が退位し、息子のフェリペ2世に統治を譲る。ブリュッセルの市民は、スペインに住むこの新しい君主に、宗教、文化、階級の違いからことごとく反発し、暴動を起こした。しだいに信奉者がふえていくプロテスタントに対して、カトリックを信奉するスペイン・ハプスブルク家は厳しい弾圧をもってのぞんだ。この宗教的対立は、聖像破壊運動を経てついにプロテスタントの反乱、宗教改革となった。1567年この地域へ派遣されたスペインのネーデルラント総督アルバ公フェルナンド・アルバレス・デ・トレドは、ブリュッセルに司令部をおいて反乱を鎮圧した。彼の恐怖政治によって、エフモント伯、ホールネ伯らがここで処刑された。
1576年ブリュッセルはスペインの支配を脱し、勝利をおさめたネーデルラント連邦共和国に入ったが、1585年にはアレッサンドロ・ファルネーゼが指揮するスペイン軍に攻略され、再びスペイン領ネーデルラントに加えられる。1792年にはフランス革命軍によって占拠され、ナポレオン戦争が終結する1815年までフランスの支配下にあった。1815年のウィーン条約によって、現在のベルギーとオランダをふくむネーデルラント連合王国の都市となった。