スクア Mk.II
概要
用途急降下爆撃機
乗員2 名
初飛行1937年2月9日
運用開始1938年10月
メーカーブラックバーン
寸法
全長10.8 m (35 ft 7 in)
全幅14,07 m (46 ft 2 in)
全高3,81 m (14 ft 2 in)
翼面積28,98 m2 (312ft2)
重量
機体重量2490 Kg (5,490 lb)
最大離陸重量3732 Kg (8,228 lb)
翼面荷重128 kg/m2 (26.4lb/ft2)
機関
エンジンブリストル・パーシュースXII 一基
馬力890hp
飛行性能
最高速度高度1980mで363 Km/h (225 m/h)
海面速度最高326.4 Km/h (204 m/h)
巡航速度266 Km/h (4,570m)
航続距離1.223 km (760miles)
限界高度6,160 m
武装
固定武装7.7mmブローニング固定式前方機銃4挺
7.7mmルイス旋回式後方射撃機銃1挺
爆弾胴体下に227Kg爆弾1発
翼下に14Kg爆弾(訓練用)8発
ブラックバーン スクア(Blackburn Skua。トウゾクカモメの意)は、イギリス、ブラックバーン社製の単発レシプロ複座艦上爆撃機。イギリス海軍艦載機としては初の急降下爆撃機であり、また、引き込み脚や可変ピッチプロペラを、イギリス海軍艦載機としては初めて採用した機体でもある。なお、スキュアとも書かれるが本来の発音はスクアに近い。
スクアは、第二次世界大戦のイギリス軍において敵航空機の初撃墜を記録した機体でもある。1939年9月26日、英空母アーク・ロイヤルに搭載されたスクアがDo18を撃墜したものであり、この戦果やその後の運用によって、スクアは「戦闘機」という後世の認識が広まっているが、これは実際のところ間違いである。確かにスクアは戦闘機としての性能も有していたが、これはあくまで付加的なものであり、当機の本質は「急降下爆撃機」である。これらは後述する評価にて詳しく説明する。
目次
1 概要
2 評価
2.1 旧式戦闘機という評価
3 外部リンク
4 関連項目
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イギリス航空省は海軍の要望に基づき、1934年に仕様書O.27/34を発行、これに基づいた艦載機を航空機会社に発注した。仕様書O.27/34が求めていたのは急降下爆撃機であったが、その内容は極めて中途半端なものであり、当初より複座戦闘機を同じ優先度で兼用することが要求に盛り込まれていた。複座戦闘機を兼ねるということは、イギリス空母艦載機としては偵察機を兼ねるということと同じである。早い話、雷撃以外の全てをこなせる艦上機が求められていた。
これを虫が良いとか無定見と見ることもできようが、当時のイギリスの航空機生産計画における海軍機の優先度は最も後回しであり、多くの機種を試作することも生産に移すことも見込めなかったため、この時点での海軍の新型機は何でもできる多用途機にせざるを得なかったのである。同様な方針に従って試作された機体は前任のオスプレイ、さらにその前任であるフェアリーIIIFなどがあり、スクアの場合はこれらの機種が持っていた中小型爆弾での水平爆撃任務に代えて急降下爆撃が要求されたというわけである。これに応え、ブラックバーンは、社内呼称B-24という航空機を設計した。この仕様書にはアブロ、ホーカー、ボールトンポール、ビッカーズなどが競合相手として参加していたが、1935年4月にはブラックバーンが原型2機の発注を獲得した。
1937年2月9日に最初の原型機(K5178)が飛行、この機体は同年10月の評価試験にまわされた。総花式の要求性能を満たすのは困難であったが、ブラックバーンの技術陣は高いレベルで整合させ、優れた急降下操縦性能と、悪くないと言える程度の空戦機動性を与えることに成功した。なお、イギリス海軍は、この原型機が飛ぶ6ヶ月も前に190機の発注をしている。1938年5月4日には2機目の原型機(K5179)が飛行し、3ヵ月後の1938年8月28日には原型機から若干の手直しを加えた最初の量産機が飛行した。当機の生産は、生産効率を高めるために一部の作業は下請けが行った。なお、イギリス海軍が発注してから生産まで丸2年かかっているが、これは発注が(冒険的な爆撃機であることを抜きにしても)異様に早かったためであり、開発が遅かったというわけではない。イギリスにとっては初めての技術を多く盛り込んだことも一因ではある。
スクアのエンジンにはブリストル社製マーキュリーIXエンジン(840hp)が使用される予定であった(原型機にはこれが搭載されていた)。しかし、このエンジンは(エンジン製造会社の機体でもある)ブレニム爆撃機に優先されることが決定したため、同社製のパーシュースXIIエンジン(890hp)が搭載されることになった。しかし、このエンジンはマーキュリーよりも難点が多かったとされる。
スクアは1938年10月から、ホーカー社製のニムロッド(複葉戦闘機:単座)およびオスプレイ(複葉戦闘偵察機:複座)に代わって配備が開始された。最初に配置されたのは第800飛行隊、及び第803飛行隊であり、いずれもアークロイヤルの艦載部隊であった。ついで空母フューリアスの第801飛行隊もこれに更新した。スクアは第2次世界大戦が勃発する直前には第806飛行隊にも受領され、開戦までに発注の大部分である約150機を納入した。1939年終わりにはほぼすべてを納入した。
なお、オスプレイがスクアに更新されたのは機体の性格上当然ではあるが、ニムロッドをもスクアで更新しようとしたのは、スクアがある程度の戦闘機性能を備えていたことと、イギリスの戦術思想の一つに「第1次大戦型空戦は発生しない」という(結果的には誤った)思想があったのも理由であるとも考えられるが、現実的にシーグラディエイターの配備が遅れていたことが最大の理由であろう。また、1930年代のイギリス海軍は、当時実用化しつつあった高速の単葉戦闘機が空母上で使用できると信じておらず、従って洋上でそのような高性能戦闘機に出会うことはないと考えていた節がある。
1939年9月14日にアークロイヤルの艦載部隊である第800飛行隊のスクアがドイツ潜水艦U-30を攻撃した。同年9月26日、同じくアークロイヤル艦載部隊の第803飛行隊のスクアがDo18飛行艇を撃墜。これが第2次世界大戦におけるイギリス軍のドイツ軍機初撃墜とされる。開戦当初は主に戦闘機としての行動が多く、1940年に入るまで本来の役目を行う機会はなかなか到来しなかった。
そもそもスクア装備部隊では戦前は急降下爆撃照準器が実用化されていなかったこともあり、急降下爆撃の訓練は一応行われてはいたもののあまり有効なものではなかった。急降下爆撃照準器が備えられたのは、もはや引退を控えた実に1941年に入ってからのことであり、それまでは通常の射撃照準器を使い、乗員の経験と勘に頼って無理矢理に実施していたのであった。スクアを用いた爆撃作戦の全てが港湾に停泊中の敵艦を狙ったものであったのはこのことが原因である。急降下爆撃照準器がなかったために降下開始点(Xポイントと呼ばれた)のプロットと、敵艦の速度に応ずる照準後落量の修正を行うことができなかったため、陸上の目印をXポイントとしてパイロットが記憶し、静止目標を狙うことで照準後落量をゼロにして、降下中の修正操縦を最低限に絞ることで、ようやく実用的な命中率を期待できた。
また、500lb半徹甲爆弾の調達は大戦勃発までほとんど進んでおらず、1939年中は対艦攻撃に使える爆弾もなかった。
1940年4月10日には、ノルウェー南西部に位置するベルゲン港にて、陸上砲台との交戦による損傷を応急修理するため岸壁に接岸中であったドイツ海軍の軽巡洋艦ケーニヒスベルクに16機のスクアが急降下爆撃を敢行、これを撃沈した。この戦果はアークロイヤル艦載の第800、803航空隊によるものである(ただし、出撃はアークロイヤルからではなく、オークニー諸島にあるハットストン基地からである)。