旗章
位置
ブドヴァの位置オレンジ地の赤部分
座標: ⇒42°17′5.00″N, 18°50′43″E
歴史
{{{成立区分1}}}{{{成立日1}}}
{{{成立区分2}}}{{{成立日2}}}
旧名{{{旧名}}}
創設者{{{創設者}}}
行政
国
ブドヴァ
Будва
市長Rajko Kulja?a
地理
面積
市域122 km?
陸上
水面 {{{水面面積(平方キロ)}}} km?
水面面積比率
市街地
都市圏
標高
人口動態
人口(2003年現在)
市域10,918人 人
人口密度 130.4 人/km?
市街地
市街地人口密度
都市圏
都市圏人口密度
備考
その他
等時帯CET (UTC+1)
夏時間CEST (UTC+2)
{{{郵便番号の区分}}}{{{郵便番号}}}
市外局番{{{市外局番}}}
ナンバープレート{{{ナンバープレート}}}
ISO 3166-2{{{ISOコード}}}
公式ウェブサイト: ⇒[1]
ブドヴァ(セルビア語:Budva/Будва、イタリア語:Budua)は、アドリア海に面したモンテネグロの都市。ブドヴァ基礎自治体の中心地。周囲は海岸であり、ブドヴァンスカ・リヴィエラ( ⇒Budvanska Rivijera)と呼ばれる、モンテネグロ観光の中心地である。砂浜、多様なナイトライフ、地中海建築群の秀例で知られる。ブドヴァはおよそ2500年の歴史を持ち、アドリア海沿岸の都市でも古いものの一つである。
目次
1 気候
2 歴史
3 ブドヴァ旧市街
4 人口
5 観光
6 交通
7 その他
8 姉妹都市
9 外部リンク
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ブドヴァは典型的な地中海性気候で、暑い夏と温暖な冬が特徴である。年間通じての晴天日は230日。1月の平均気温は8℃、7月の平均気温は27.9℃。夏期の平均気温は、23.1℃、冬の平均気温は9.3℃である。夏の間の海水温は24.7℃以上になり、秋の間も18℃から19℃ある。
多量の考古学的証拠から、ブドヴァの地にはアドリア海沿岸最古の定住地があったと見られ、多くが歴史的な証拠から紀元前5世紀に遡るとする。伝説では、ブドヴァはフェニキア人カドモスが妻ハルモニアとともにテーバイから逃れてこの地に身を隠したとする。
2つの異なる文明が無数の痕跡を残した。古代ギリシャと古代ローマである。ローマ帝国が衰退し東西に領土が分けられると、2つの勢力を分ける防御壁がこの地域を通過し、その結果この町に文化と歴史の衝突を残した。中世、ブドヴァは南スラヴ人国家ドゥクリャ( ⇒en:Duklja)の代々の王、ゼタ公国( ⇒en:Principality of Zeta)の貴族に治められた。
ヴェネツィア共和国がおよそ400年もの間この町を支配した。彼らは町をブドゥアと呼び、コトル湾地方を治め、オスマン帝国の侵略に対抗して強力な城壁で町を強化した。住民のほとんどが19世紀までヴェネツィア方言を話していたと、歴史家ルイージ・パウルッチは1810年の自著『コトル湾1810年』(Le Bocche di Cattaro nel 1810)に記している。
激動の時代が来て、ブドヴァは幾度もその宗主国が代わることになる。オーストリア、フランス、そしてロシアである。コトル湾そしてブドヴァのモンテネグロとの統合は事実上1813年から1814年まで行われたが、1918年までブドヴァはオーストリア=ハンガリー帝国のもとに置かれた。第一次世界大戦後、セルビア王国軍がブドヴァを解放し、ユーゴスラビア王国の一部となったが、1941年にイタリア王国に併合された。
第二次世界大戦中、この地方に住む多くの住民が対ファシスト戦で戦った。1944年11月22日、イタリア降伏後に占領していたナチスからついに解放された。のち社会主義体制のユーゴスラビアへ帰属し、現在は新たに独立したモンテネグロの一部となっている。
1979年4月15日、破滅的な地震がブドヴァを襲った。旧市街のほとんどが被害を受けたが、今日その痕跡はわずかである。ほとんどの建築物が原型通りに治されたのである。