フレデリック・ノース
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フレデリック・ノース在任期間:1770年1月28日-1782年3月22日
前首相:グラフトン公オーガスタス・フィッツロイ
次首相:ロッキンガム侯チャールズ・ワトソン・ウェントワース
生年月日:1732年 4月13日
没年月日:1792年 8月5日
出身地:ピカデリー, ロンドン
所属政党:トーリー
ノース卿

フレデリック・ノース(Frederick North、1732年4月13日 - 1792年8月5日)は、イギリスの政治家である。1770年 から 1782年まで首相を務めたが、在任期間の後半はアメリカ独立戦争への対応に追われた。 第2代ギルフォード伯爵( ⇒Earl of Guilford)、ガーター勲章受章者。

フレデリック・ノースは6人兄弟の総領としてロックストン修道院で生まれた。両親は初代ギルフォード伯爵とルーシー・モンタギューである。他の兄弟は伯爵の2回目の結婚から生まれている。

彼は1742年から1748年までイートン校で学び、1750年にはトリニティ・カレッジで文学修士の学位を得た。オックスフォードを出た後は、ヨーロッパを旅し、ライプツィヒ大学で学び、ウィーンミラノパリを巡って1753年にイギリスに戻った。

1754年から1790年まで国会議員。1759年6月2日ニューカッスル公トーマス・ペラム・ホールズチャタム伯ウィリアム・ピット(大ピット)の連立内閣に財務次官として初入閣、1766年大ピットの内閣では陸軍主計官と枢密院顧問を兼ねている。

1767年チャールズ・タウンゼンドの後を受けて財務大臣となった。1770年1月28日グラフトン公オーガスタス・フィッツロイが首相を辞任したことを受けて、首相となった。1782年3月27日、前年のヨークタウンでの敗北のために、イギリス議会では初めての不信任決議案によって首相を辞任した。アメリカ独立戦争を終わらせるために、彼は和解案を提案した。その提案は、植民地が戦いを止めれば、すべての「耐え難き法」を撤回することを約束するものだった。植民地は、彼らの望むことは独立であるとして、この提案を拒絶した(有名な話だが、彼はこのことを聞いて「なんてことだ。すべては終わった。終わりだ!」と叫んだという)。彼の任期はアメリカ植民地との脹れ上がる揉め事、特に任期の後半は革命戦争に費やされた。

1783年に彼は復活を果たす。急進派ホイッグ党首チャールズ・ジェームズ・フォックスとフォックス・ノース連立として知られるありそうもない連立を行い、ポートランド公ウィリアム・ヘンリー・カヴェンディッシュ・ベンティックを首相に据え、自らは国務長官となった。 イギリス王ジョージ3世はフォックスを忌み嫌い、このことを裏切りとして許さなかった。この内閣が倒れたその年の12月で彼の閣歴は終わった。

彼は父の伯爵を受け継ぎ、貴族院で過ごした後、失明した1790年に議会を去った。ロンドンで1792年に亡くなり、ロックストンのオールセイントチャーチに埋葬された。 皮肉なことに、彼の生家は現在、アメリカのフェアリー・ディッキンソン大学になり、アメリカから来る留学生のために役立っている。


関連項目

アメリカ独立戦争

先代:
グラフトン公イギリスの首相
1770?1782次代:
ロッキンガム侯

・話・編・歴イギリスの首相

グレートブリテン王国ウォルポール - ウィルミントン - ペラム - ニューカッスル - デヴォンシャー - ニューカッスル - ビュート - G・グレンヴィル - ロッキンガム - チャタム(大ピット) - グラフトン - ノース - ロッキンガム - シェルバーン - ポートランド - 小ピット


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Smilegreen