フランツ・ヴィンターハルター
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フランツ・クサーヴァー・ヴィンターハルター(Franz Xaver Winterhalter,1805年4月20日 - 1873年7月8日)は、ドイツバーデン大公国シュヴァルツヴァルト生まれの肖像画家。

パリに住みながらヨーロッパ中の貴族の肖像画を描いた。ヴィクトリア女王のお気に入りの画家であった。彼は他にもナポレオン・ボナパルト、フランス王ルイ・フィリップなどの肖像画も手がけた。自画像、弟ヘルマン(右)とともに(1840年、カールスルーエ州立美術館蔵)
目次

1 前半生

2 宮廷画家

3 伝記

4 ギャラリー

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前半生

フランツ・クサファー・ヴィンターハルターはバーデン大公国シュヴァルツヴァルトにあるメンツェンシュヴァントという小さな村に1805年4月20日に生まれた。彼はフィデル・ヴィンターハルターの6人目の子供であった。フィデルは農民で、村の松脂取り、その妻エーファ・マイヤーは旧家の出であった。彼の父は、彼の人生においては力強い影響を与えた。8人兄弟のうち、4人が生き残った。生涯を通じて彼は家族と、特に同じく画家であった弟のヘルマン・フィデル・ヴィンターハルター(1808年 - 1891年)と大変親しい関係を保った。

ザンクト・ブラジーン( ⇒St.Blasien)のベネディクト派修道会に学んだのち、ヴィンターハルターは1818年に、素描とリトグラフを学ぶため、13歳で故郷メンツェンシュヴァントを離れた。彼はフライブルク=イム=ブライスガウのルードヴィヒ・シューラーの下で1818年から1824年までリトグラフの職業訓練を受けた。その後、18歳で奨学金を得てミュンヘン芸術アカデミーに留学、ペーター・コルネリウスの下で絵画を学んだ。コルネリウスのアカデミックなメソッドは彼を不快にさせた。ヴィンターハルターは、流行の肖像画家ヨーゼフ・シュティーラー( ⇒Joseph Stieler)の下で働き、お気に入りの師匠を見出した。この時、彼はまたリトグラファーとしても活動していた。

ヴィンターハルターは、1828年カールスルーエバーデン大公レオポルト1世の妃ゾフィーの絵描き(drawing)の師範になったとき、社交界に足を踏み入れた。身を立てる機会は1832年に到来した。イタリア旅行(1832年 - 1834年)がレオポルト大公の支援によって可能になったのである。ローマでは彼はロマン主義的なジャンルを、 ⇒ルイ=レオポール・ロベールの技法で製作し、自身をフランス学士院理事 ⇒en:Horace Vernetの集まりに関与させた。カールスルーエに戻ると、彼はレオポルト大公夫妻の肖像画を描いた。彼は大公宮廷の画家となった。

しかしその後、彼はバーデンを離れフランスへと移った。フランスはイタリア・ジャンルである場面「Il dolce Farniente」が1836年サロンの一目を引いた場所であった。1年後の「デカメロン(Il Decameron)」もまた賞賛された。両方の作品はラファエロ様式において、アカデミックな構成であった。1838年のサロンにおいて、彼は娘ワグラム公と彼の令嬢の肖像を展示した。 彼の肖像画家としてのキャリアはたちまち確固たるものになった。彼は同じ年、ベルギー王妃ルイーズ=マリーと彼女の息子の肖像を描いた。 もしかしたらこの画業を通じて、ヴィンターハルターはベルギー王妃の父で、フランス王ルイ・フィリップの関心を引いたかもしれない。


宮廷画家

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パリではヴィンターハルターは見る見るうちに人気者となった。彼はルイ・フィリップの宮廷画家に任命された。フランス王である彼はヴィンターハルターに彼の大家族の肖像画を描かせることを依頼した。ヴィンターハルターは30点以上の製作を彼のためにすることになった。

この成功は画家に王侯貴族の肖像画法に関する専門家としての評判をもたらした。それは、肖像画に現代の流行と、お世辞と公式な華麗さの統合を熟練させたものであった。

しかし、貴族の間でのヴィンターハルターの評判は彼に害をもたらした。1836年のサロンでの彼のデビューを賞賛した批評家は、彼を深刻に取り上げるられることができない画家として切り捨てた。

この態度はヴィンターハルターのキャリアを通じて固執した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki