フランス料理(フランスりょうり フランス語:La cuisine fran?aise)とは、16世紀にイタリアよりもたらされた、当初はフランスの宮廷料理だった献立の総称。ソースの体系が高度に発達していることが特徴で、各国で外交儀礼時の正餐として採用されることが多い。
狭義としてはこうした正餐に用いる厳格な作法にのっとったオートキュイジーヌ( ⇒haute cuisine)と呼ばれる料理を指す。もちろんフランスの各地方には一般庶民に親しまれている特徴ある郷土料理も数多くあり、広義には高級料理だけでなくこうしたフランスの伝統料理全般も含める。
フランス語では「ラ・キュイズィーヌ・フランセーズla cuisine fran?aise」と呼ぶ。日本でフランス料理を「フレンチ(French)」と呼ぶ場合があるが、英語では「フレンチ・クィズィーン(French cuisine)」と呼ぶことが多く、「料理」を意味する名詞「クィズィーンcuisine(フランス語発音でキュイジーヌ)」を省略する習慣は口語以外ではあまりない。
目次
1 歴史
1.1 日本
2 食事作法
2.1 主な料理と料理の出る順序
2.2 代表的なマナー
3 フランス料理の派生
3.1 フランス各地方の料理
3.2 近現代において新たに生まれた料理
4 副食品
5 フランス料理のレストラン
5.1 ガイドブック
5.2 店舗形態
6 脚注
//
現在のフランス料理の原型は、ルネサンス期のイタリアから、当時フランスの王であったアンリ2世と婚姻したカトリーヌ・ド・メディシスとその専属料理人によってもたらされたと言われ、ブルボン王朝の最盛期に発達した。
それに伴い、ハプスブルク家により、ロシア、ドイツなどの宮廷に広まった。また、フランス革命以後、宮廷から職を追われた料理人たちが街角でレストランを開き始めたことから、市民の口にも入るようになった。
19世紀に入り、アントナン・カレーム、彼の弟子であるジュール・グッフェ、そしてユルバン・デュボワにより大きく改革された。例えば、それまで多くの料理を同時に食卓に並べていたのを改め、一品ずつ食卓に運ばせる方式を採用した。これは、寒冷なロシアで料理を冷まさず供するため、フランス料理の料理人が工夫したものがフランスに逆輸入されたといわれ、ロシア式サービスと称される。
そしてその流れはオーギュスト・エスコフィエへと引き継がれた。 彼はコース料理を考案したり、フランス料理のバイブルといわれる『料理の手引き』(Le Guide Culinaire)を1903年に刊行した。この本は現在でもプロのシェフにとって手放せない本となっている。
その後、1930年代に、フェルナン・ポワン(「ラ・ピラミッド」)、アレクサンドル・デュメーヌ(「ラ・コート・ドール」)、アンドレ・ピック(「ピック」)らが、エスコフィエの料理を受け継ぎながら、さらに時代にあった料理へと改良していった。
ポワンたち3人の理念は、ポワンの弟子であるポール・ボキューズ、トロワグロ兄弟、ルイ・ウーティエらに受け継がれた。 フランス料理は、イタリア料理、スペイン料理、トルコ料理、モロッコ料理など歴史的にヨーロッパ・北アフリカ・西アジア料理の影響を受けてきたが、1970年代にボキューズたちは日本の懐石料理を取り入れて、軽いソースや新鮮な素材を活かした調理など「新しい料理」を創造し、ゴー・ミヨがこれを「ヌーベル・キュイジーヌ」と呼んで、世界中に広まった。
1980年代に入ると、ジョエル・ロブション、ピエール・ガニェール、アラン・デュカス、ベルナール・ロワゾー、ベルナール・パコーらが、エスコフィエの精神を生かしながら、キュイジーヌ・モデルヌと呼ばれる、さらに新しい料理を創造している。
料理法の発達とともに、食器、作法なども洗練され、味の良し悪しを批評する職業としての食通も生まれ、19世紀前半に、ブリア・サヴァランが『美味礼讃』を著して美食学(ガストロノミー)と美食文学の伝統を確立した。『ミシュランガイド』、『ゴー・ミヨ』などのレストランの格付けを行うガイドブックが発行されるようになった。
フランス料理の日本への輸入は、明治維新の際に行われた。日本国外の来賓への接待としてフランス料理が使用されるようになったのは、1873年からという[1]。
フランス料理のコースでは、料理の出る順番が決まっている。