共産主義思想
マルクス主義 ・ レーニン主義
スターリン主義 ・ トロツキー主義
毛沢東思想 ・ ユーロコミュニズム
国際組織
コミンテルン ・ コミンフォルム
第四インターナショナル
人物
マルクス ・ エンゲルス
レーニン ・ トロツキー
スターリン ・ 毛沢東
出来事
ロシア革命 ・ 大粛清
スターリン批判 ・ ハンガリー動乱
中ソ対立 ・ 文化大革命
プラハの春 ・ 天安門事件
東欧革命 ・ ソ連崩壊
表・話・編・歴
フランス共産党(フランスきょうさんとう、Parti communiste francais)、通称PCFは1921年に、前身のフランス社会党左派SFICから分裂して結成されたフランスの左翼政党。当初は共産主義インターナショナル(コミンテルン)のフランス支部として出発した。マルクス・レーニン主義を掲げ、パブロ・ピカソやエリック・サティ、イヴ・モンタンらも党員だった時期がある。
指導者:モーリス・トレーズ、ジャック・デュクロ、ロベール・ユ、マリー・ジョルジュ・ビュフェ
機関紙:『ユマニテ』(「人類」の意)
目次
1 歴史
1.1 人民戦線からレジスタンスまで
1.2 戦後の活動
1.3 90年代以降の活動
2 2007年フランス大統領選
3 関連項目
4 外部リンク
//
フランス共産党は、コミンテルンのフランス支部として活動し、スターリンがコミンテルンを実質支配した1930年に「左翼反対派」を追放してモーリス・トレーズが実権を握って以降、コミンテルンが解散した戦後においても各国の共産党に比べても際立ってソ連の政策を支持する傾向が強く、「La fille ainee de Moscou-モスクワの長女」と揶揄された。その傾向はソ連邦の崩壊まで続いた。
1930年代初頭は、スターリンとコミンテルンが提唱した「社会ファシズム論」を実践して、フランス社会党に激しい攻撃を加えたが、1933年にドイツでナチスが政権を獲ると、フランスでもファシズム運動が起こっていたことから労働者の間で「反ファシズム統一戦線」の気運が高まった。その気運は2月6日に起こった「火の十字団」「王党派青年団」「愛国青年団」「フランス連盟」などの極右・ファシスト組織が合同してコンコルド広場からエリゼ宮に進撃した武装デモをきっかけに、ファシズムに対抗する統一戦線としての人民戦線運動として結実し、1936年には人民戦線政府が樹立された。
フランス共産党も人民戦線運動に貢献したが、入閣せず閣外協力の形でこの政府に協力した。したがって、フランス共産党はこの政府に協力するために労働者のストライキ運動を「権利獲得運動」の枠内に抑制した。1936年5月27日に社会党左派のマルソー・ピヴェールが、ストライキ運動の広がりに革命まで展望して「いまや、すべてが可能である」と社会党機関紙『ポピュレール』にて表現したことに対し、フランス共産党書記長であるモーリス・トレーズは、農民と中産階級の支持が充分でない、として「すべてが可能なわけじゃない。権利闘争は終わらせる術を知らなくてはならない」と6月11日の共産党活動家集会で反論した。このようなフランス共産党の「社会ファシズム論」から「人民戦線」への転換は、ナチスの軍事的脅威からソ連邦を守り、かつヨーロッパの社会主義革命運動の高揚を怖れたスターリンの意向が働いている。
1938年に人民戦線政府が崩壊し、1939年にスターリンが独ソ不可侵条約を締結すると、フランス共産党は一転して「反ファシズム」ではなく、「フランス帝国主義およびアメリカ・イギリス帝国主義反対」を強く打ち出すようになる。独ソ不可侵条約を支持したことで、党員の三分の一が反発して離脱し、政府からは「利敵団体」として非合法化された。