フェリペ3世_(スペイン王)
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フェリペ3世はこの項目へ転送されています。ナバラ王フェリペ3世についてはフェリペ3世 (ナバラ王)をご覧ください。フェリペ3世フアン・パントーハ・デ・ラ・クルスの筆によるフェリペ3世

フェリペ3世(Felipe III, 1578年4月14日 - 1621年3月31日)は、スペイン王、ナポリシチリア王、ポルトガル王(在位1598年 - 1621年)。フェリペ2世と最後の妻である神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世の娘アナとの間に生まれた末子である。なお、ポルトガル王としてはフィリペ2世。

フェリペ2世久々の男子であるが生まれつき病弱であったため、年老いてゆく父は息子の将来に不安を抱いた。結局フェリペ2世の心配は的中し、フェリペ3世の治世は短かった。

フェリペ3世の代にスペインの国政を切り盛りしたのは首席大臣であったレルマ公爵あるいはウセダ公爵であったが、彼らはこの大帝国の国政を担うにはいささか力不足であり、フェリペ2世が残した世界帝国は衰退への道を歩み始めることとなる。


子女

1599年にマクシミリアン2世の姪にあたるマルガリータと結婚。以下の7人の子供を儲けた。

アナ(1601年 - 1666年) フランスルイ13世妃(フランス名アンヌ・ドートリッシュ)。

マリア(1603年 夭折)

フェリペ(1605年 - 1665年)スペイン王フェリペ4世。

マリア・アナ(1606年 - 1646年) 神聖ローマ皇帝フェルディナント3世妃。

フェルナンド(1609/1610年 - 1641年) 枢機卿南ネーデルラント総督。

マルガリータ(1610年 夭折)

アルフォンソ(1611年 夭折)


スペイン・ハプスブルク家の近親結婚について

フェリペ3世の生母アナはフェリペ2世の姪である。オーストリア・ハプスブルク家との間の3親等クラスの近親結婚は、この王から始まる(ローマ教皇から赦免状をもらっての近親結婚だった)。

これは、祖父カルロス1世とフランスとの対立や、父フェリペ2世の非妥協的宗教政策、ポルトガル併合が関係する。まず当時、名門スペイン王室と家臣や格下の諸侯との結婚などありえなかった。しかし、ヨ−ロッパの王室は次々とプロテスタントに改宗していたが、新教徒の王室との結婚などご法度だった(異端は異教徒より悪質とされた)。カトリック教徒の王室として残るのは、フランス王家と両ハプスブルク家、ポルトガル王家だったが、フランス王家とは敵対しており、ポルトガル王家はスペイン・ハプスブルク家が滅ぼしてしまった。結局、選択肢はオーストリア・ハプスブルク家との近親結婚のみとなった。のちにフランス王家からも王妃を迎えることになるも、やはり選択肢が2家しかないので、近親結婚は解消されなかった。

後にスペイン・ブルボン家も似たジレンマを抱え込んだ。


関連項目

ハプスブルク家人物一覧


先代:
フェリペ2世スペイン王
1598年 - 1621年次代:
フェリペ4世

先代:
フェリペ2世ナポリ王・シチリア王
1598年 - 1621年次代:
フェリペ4世

先代:
フィリペ1世ポルトガル王
1598年 - 1621年次代:
フィリペ3世

この「フェリペ3世 (スペイン王)」は歴史に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています(P:歴史/P:歴史学/PJ歴史)。

カテゴリ: 歴史関連のスタブ項目 | スペインの君主 | ポルトガルの君主 | シチリアの君主 | スペイン・ハプスブルク家 | アストゥリアス公 | 1578年生 | 1621年没

更新日時:2008年8月17日(日)10:52
取得日時:2008/08/25 13:22


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki