ファッション(英語: fashion)とは、服飾や髪型・化粧などのスタイルや装いのことである。なかでも特に、人々のあいだで流行している服装を指す。
目次
1 語源
2 ファッション用語
3 洋服文化とファッション
3.1 日本
4 ファッション・アイテム分類表
5 関連項目
6 参考文献
7 外部リンク
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英語で「流儀」や「流行」を意味する"fashion"が語源である。 また、ファッションの流行を紹介するファッションショーが世界各地で行われている。
ファッション用語
オートクチュール
フランス語で「特注の仕立て服」のこと。いわゆるオーダーメイドであるが、ファッション業界内では通常、「サンディカ」と呼ばれるパリの高級服専門の組合に所属している店の商品のことをいう。また、パリとローマで1月と7月に開催されている「オートクチュール・コレクション」は、サンディカに所属するメンバーと、その他の少数のメゾンにしか発表が許されていないファッションショーである。
プレタポルテ
フランス語で「既製服」のこと。通常は一流のデザイナーがデザインを手掛け、仕立てた既製品にのみ当てはめられる言葉。「コレクション」と呼ばれるファッションショーがあり、2月から4月、9月から12月までの間に、東京、ニューヨーク、ロンドン、ミラノ、パリの順で開催されている。
メゾン
フランス語で「家、建物」の意であるが、ファッション業界では会社、または店などの意味で使われる。特に「オートクチュールの店」のことを『メゾン・ド・クチュール(maison de couture)』という。
リアルクローズ
アート色の強い日常離れした服に対して、一般的に普段着として着られるような服。それまでデザイナーが作ってきた流行ではなく、一般の人が着ているだろう服を想定しより消費者に近いファッションの発信をしようと90年代初頭に大きな動きとなった
流行色
一時的に流行し、多くの人がファッションの中に取り入れる色のこと。狭義には、国際流行色委員会(インターカラー)や日本ファッション協会という団体が選定した色のことを指す。選定の1年後にファッション業界や出版社に流行色の情報が提供され、流行色を使った商品が生み出されていく。
川上
原材料である綿などから商品の材料となる生地や糸を製造する段階。素材メーカー、テキスタイルメーカー、織物・染色業者などがこの段階に入る。
川中
糸や生地から衣服を製品として製造するアパレルメーカーや、そのほか、服飾製品の製造業を指す。
川下
アパレルメーカーなどによって製造された製品を、商品として店頭に並べ販売する小売業を指す。
古着
一度商品として市場に出回り、買った人などがその所有権を放棄した服を、古着業者が回収して販売している物のこと。特に価値の高いものは「ヴィンテージ」と呼ばれることがある。
アウトレット
わずかに瑕疵がある品や余剰生産品などを、正規品よりも安い値段で売ること。そのような店で売られる品は「アウトレット品」、そのようなものを扱うモールは「アウトレットモール」と呼ばれる。
裏原宿
日本にあるファッション情報の発信地の一つ。東京都渋谷区神宮前周辺の俗称である。藤原ヒロシが流行の仕掛け人として知られる。
トラッド
トラディショナル(スタイル)の略で、米国系、ブリティッシュ系トラディショナルなどに、ときには日本独自のニュートラなども含めて呼ぶ総称。「伝統的・正統派」という意味があり、流行に左右されないテーラードスーツやトレンチコートなどのベーシックなデザイン、または用いられているウールやカシミアなどの素材を用いたものを指すことが多い。 この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
日本の服飾の歴史については、和服の歴史も参照。
日本では服装の西洋化が広まっているが、その直接的な要因は1858年の日米修好通商条約だとする説がある。
それによると、この条約により各地の港が開かれ、役人や通訳などの直接外国人と交渉をする立場の人間を中心として、服装の西洋化が広まっていくことになる。
なお、1543年に種子島へポルトガル船が漂着した時から鎖国までのしばらくの間にも、一部の大名などに贈呈されるなどして、少数ながらも西洋の服飾は流通しており、江戸時代末期には長崎の出島などでは特別珍しいものではなかった。
1864年には、禁門の変を理由に長州征伐の兵を挙げた幕府が、その時の軍服を西洋式にすることを決め、小伝馬町の商人である守田治兵衛が2000人分の軍服の製作を引き受け、試行錯誤しながらも作り上げた。
日本においての洋服の大量生産は、記録に残る限りこれが初だとされる。また、断髪令により髪型も従来の髷から散切り頭となった。
その後しばらくは、小規模ながらも各地に洋服の貸し出し店や洋服販売店ができるようになり、1871年に陸軍や官僚の制服を西洋風に改めることを定めた天皇の勅諭(太政官布告399号「爾今禮服ニハ洋服ヲ採用ス」)が発せられた以後、警官・鉄道員・教員などが順次服装を西洋化することになる。