ピーター・ペース(General Peter Pace, 1945年11月5日 - )は、元アメリカ海兵隊の軍人。最終階級は海兵隊大将。第16代アメリカ統合参謀本部議長としてイラク戦争の指揮にあたったが、民主党の中間選挙勝利に伴うイラク撤退圧力の強まりが原因で、2007年9月で議長を退任、退役した。
ニューヨークのブルックリンでイタリア系アメリカ人の両親の子として生まれ、ニュージャージー州ティーネックで育った。1967年6月にアメリカ海軍兵学校を卒業し、海兵隊に入隊。彼は、この他にジョージ・ワシントン大学で経営学修士号(MBA)を取得しており(マイヤーズ前統合参謀本部議長も、オーバーン大学でMBAを取得している)、また、ハーヴァード大学の国家・国際安全保障上級行政官課程で学んでいる。また、1992年には、ジョージタウン大学のエドマンド・A・ウォルシュ外交大学院のリーダーシップ・セミナーを卒業するなど、高学歴の目立つ軍人である。家族は、妻と息子が1人(ピーター)と娘が1人(ティファニー)ずついる。息子のピーターJr.は、海兵隊予備役に所属しており、現在の階級は大尉である。
1968年:ヴァージニア州クオンティコ海兵隊基地の基本術科学校(The basic School)を修了、第1海兵師団第5海兵連隊第2海兵大隊に配属され、ベトナム戦争に従軍、初任務は小銃小隊長であり、後に大隊3係(作戦担当)になる。南ベトナム解放民族戦線によるテト攻勢中、ベトナムの古都ユエでの激しい市街戦を小銃小隊長として経験している。 ⇒[1]
1969年:3月、アメリカへ帰還し、ワシントンD.C.の海兵隊総司令部に勤務。この在任中に彼は、海兵隊研究所の所長を務め、その後はキャンプ・デービッド警備派遣隊長に上番。
1971年:海兵大尉に昇任。フォート・ベニング歩兵学校の幹部上級課程に入校。
1972年:第15海兵航空群、第1海兵航空ウィングにおいて作戦幕僚として勤務。
1973年:海兵隊総司令部に勤務。
1976年:第1海兵師団司令部、のちに第2海兵師団第5海兵連隊第2大隊の中隊長に上番。
1977年:海兵少佐に昇任。
1979年:海兵隊指揮幕僚学校に入校。
1980年:指揮幕僚課程修了後、ニューヨーク州バッファローの志願兵募集事務所に勤務。
1982年:海兵中佐に昇任。
1985年:国防大学校に入校。
1986年:在大韓民国の国連軍統合司令部に勤務。
1988年:帰国後、海兵隊大佐に昇任。
1991年:第2海兵師団に勤務。
1992年:同師団副師団長に上番、その後海兵准将に昇任。
1993年:10月、海兵統合部隊副隊長としてソマリアに派遣(〜1994年3月まで)
1994年:海兵少将に昇任、在日米軍参謀長に就任。
1996年:海兵中将に昇任、統合参謀本部の作戦部長に就任。
1997年:アメリカ欧州軍に勤務。
2000年:海兵隊大将に昇任、アメリカ南方軍司令官となる。
2002年:リチャード・マイヤーズ統合参謀本部議長のもとで、統合参謀本部副議長に就任。
2005年:統合参謀本部議長に就任。しかし、ドナルド・ラムズフェルド国防長官と意見の相違があり、統合参謀本部議長はイラクでの作戦に最後まで責任を持つべきだと主張する。また、ホワイトハウスから「イランがイラク国内の武装勢力に対して軍事物資を供給している」との報告に大しては懐疑的であるとした。これに関しては、イラン政府とイラク武装勢力の関与を示す報告書が急増した背景には何者かの(ホワイトハウス内や議会あるいは国務省など)意思があるとの考えを示し、これはイラクでの作戦に支障が起きる可能性に憂慮を示したためである。更に、同性愛者の(特に男性の)入隊に関しては、それを第三者が認知しない限りは黙認するとの発言もあった。
かねてから、共和党からの政界進出が噂されていた1人であったが、次回の上院議員選挙において、今期限りで引退する事を表明しているヴァージニア州選出で、共和党穏健派の重鎮であるジョン・ウォーナー前上院軍事委員会委員長の後任として出馬する予定である事が報道されている。