ピンク・レディー
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この項目では日本の歌手グループについて記述しています。カクテルについてはピンク・レディー (カクテル)をご覧ください。

ピンク・レディー
基本情報
出身地 日本静岡県静岡市葵区
ジャンルアイドル
活動期間1976年 - 1981年
レーベルビクターレコード
共同作業者阿久悠都倉俊一土居甫
メンバー
ミー(根本美鶴代
ケイ(増田惠子
 ・編・歴 

ピンク・レディー(Pink Lady)は、1970年代後半に活躍したアイドルデュオ。多くの楽曲を阿久悠(作詞)・都倉俊一(作曲)のコンビが手がけた。

ミー(現:未唯、本名:根本美鶴代、1958年3月9日 - 、A型、静岡県静岡市葵区出身)とケイ(現:増田惠子、本名:桑木啓子(旧姓:増田)、1957年9月2日 - 、O型、静岡県静岡市葵区出身)の2人組。
目次

1 来歴

1.1 出会いとデビュー秘話

1.2 絶頂期

1.3 アメリカ進出、そしてユニットの終焉

1.4 再結成


2 略歴

3 シングル

3.1 再々々結成後

3.2 再々々々結成後


4 アルバム

5 テレビ作品

6 CM

7 映画

8 関連項目

9 外部リンク

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来歴


出会いとデビュー秘話

常葉高校(現・常葉学園高校)卒業後の1976年8月25日に、シングルペッパー警部」で歌手デビュー。中学、高校時代に同級生だった二人は、“クッキー”というデュオを結成し歌手を目指していた。デビューのきっかけとなったテレビ番組『スター誕生!』出演時は、二人おそろいのオーバーオールを着、素朴な雰囲気で登場。歌も当時ほとんど無名に近かった、フォークグループの曲(ピーマンの「部屋を出て下さい」)を唄う事で逆に注目され、合格する。後に増田恵子(ケイ)は素朴な田舎っぽいイメージはオーディション番組に受かるための手段で、当初より歌って踊れる歌手を目指していたと語っている。当時のテレビ局関係者には素朴な田舎娘だったとの印象が今でも強いらしく、フォーク歌手指向と語られることが多い。グループ名が「白い風船」になりかけたこともあった。

しかし歌手デビューに際し、全く異なるキャラクターにプロデュースされる。手足を露出したキラキラ光る生地のミニの衣装、リズムやビートを強調した曲調。郊外の田園風景が似合う素朴な二人組が、アメリカのショー歌手も顔負けの派手な歌謡デュオになった。大胆に太ももを開いたりする激しくセクシーなダンスを行うことから、デビュー当初は成人向け深夜番組の出演が多かった。ピンク・レディーとは都倉俊一の命名であり、有名なカクテルの名前に由来する。

同様の歌手としては1970年代前半に人気を博した山本リンダの前例もあるが(山本の曲も阿久悠都倉俊一コンビ作が多い)、山本が“大人の女”の色気を売りにし夜のイメージを感じさせたのに対し、ピンク・レディーは夏の浜辺のような明るく健康的なムードなのが対照的だった。デビュー直後にはキワモノ的な見方もされたが、まずは当時の子供たちが振り付け(すべて土居甫の手によるもの)を熱心に覚えて真似をし始めた。

そのため山本リンダに代表されるかつてのセクシー歌手とは対照的に、老若男女に幅広く人気を獲得することに成功。レコードが大ヒットするだけではなく、人気が高まるにつれ衣料品文房具食器、果ては自転車食品まで多くの業種のさまざまな商品に彼女らの姿がプリントされたキャラクターグッズが販売され、ピンク・レディーという存在は想像を絶する巨額の経済効果を派生させることになった。


絶頂期

ピンク・レディーは1970年代前半のアイドル天地真理の人気を超え、さらに時代を象徴するスーパーアイドルになったと言える。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki