ピエール瀧
基本情報
出生日1967年4月8日
血液型AB
出身地静岡県静岡市葵区
共同作業者電気グルーヴ
表・話・編・歴
ピエール瀧(ピエールたき、本名:瀧 正則(たき まさのり)、1967年4月8日 - )は、日本のミュージシャン、タレント、俳優。テクノバンド『電気グルーヴ』のメンバー。血液型はAB型。身長はプロフィール上で180cm(実際は1cmサバを読んで179cm)。愛称は「瀧」、「顔」。静岡県静岡市葵区出身。静岡県立静岡東高等学校卒業。
目次
1 略歴
2 エピソード
3 出演
3.1 テレビドラマ
3.2 バラエティー
3.3 アニメ(声優)
3.4 映画
3.5 CM
3.6 ゲーム
4 書籍
5 映像作品
6 ゲームプロデュース
7 脚注
8 外部リンク
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『ワンサくん』の視聴をなぜか禁止していた看護師の母と、ある日突然サラリーマンを辞めてチベットに旅行に出かける父、瀧と顔がそっくりでファンに間違えられたことがあるという姉との間ですくすくと育つ[1]。生物の授業が大好きだったため高校卒業後に医療関係の専門学校に進学するも、「ドラゴンクエストII」のやりすぎで中退。映像関係の会社に一旦就職するが、退社し現在の活動に専念する。
高校時代までは野球部の活動に日々打ち込む少年であったが、ある日、友人の友人として知り合った石野卓球の部屋に往訪したとき、たまたま部屋でかかっていたニュー・オーダーの「ブルーマンデー」に衝撃を受け、そのまま直立不動の状態で最後まで聴き入ってしまったという逸話が残っている。これは以降の瀧の人生を大きく変える出来事だった。その後、石野が結成するバンド「人生」(ナゴムレコード所属)に参加し、主要メンバーとして(楽器は弾かないが)活躍することとなる。
人生の後身である電気グルーヴに参加し、既成概念にとらわれないステージ・パフォーマンスで人気を得る。また電気グルーヴや石野卓球のプロモーションビデオのディレクションも手がけている。「人生」在籍当時は『畳三郎』の芸名で活躍していたが、電気グルーヴへの参加と同時に『ピエール畳』に改名し、さらに現在のピエール瀧へと変化。現在の芸名に改名したきっかけは、レベッカのNOKKOとSHAKEが結婚した際(現在は離婚)のスポーツ新聞の記事の見出しが「NOKKO・SHAKE 結婚」という、一見すると一体何なのかわからないものだったことから、自分の『畳』という名前にも疑問を抱いたため。[1]その後ポンチョ瀧に改名すると予言していたが、現時点では未だ改名していない。ところが、2007年11月、月末までの期限つきでピエルー瀧とするとラジオで発言。
「人生」在籍当時より「楽器の弾けないミュージシャン」を公言しており、ステージにおいてかつては殿様やドラえもんの衣装で登場したり、最近のライヴステージでは着ぐるみを着て踊っているだけだったりする。筋肉少女帯、ばちかぶりなどナゴムレコード所属バンドはステージ上でいきなりお好み焼きを焼き、客に振舞うといったパフォーマンスを行う者が多数いたが、瀧はメジャーデビュー後もライヴの最中に綿菓子を作ったり、手作りピザを回したり、ろくろを回して陶芸作品を作るなどの行為を唯一おこなっていた。このように、バンドのメンバーでありながら、そのパフォーマンスは一般的なミュージシャンの概念を超越している。なお公式プロフィール上の彼の担当パートは「TAKI」と表記されている。この表記はハッピー・マンデーズのベズが担当パートを「ベズ」としたことと一致している。
しかし、実際のところは、彼の存在が無ければ電気グルーヴは成立しないとよく言われるように、作詞の多くを手がけるなど、コンセプトの面ばかりでなく音楽面においてもとても重要なポジションを担っている。サンプラーなどを使っての楽曲制作の実績も当然あり、またインスト物に傾倒していた1993年8月頃の電気グルーヴのライブでは、ROLAND VP-330が瀧の前にセットされ、実際に演奏を行っている(ファンの間では『ゴリラがシンセを弾いた夜』として有名)。また、ターンテーブルの購入は石野よりも早く(なぜか一台だけ)、かつてはDJ活動も行っていたという。作詞の言葉選びのセンスには定評があり、テレビでも共演機会の多いPUFFYの楽曲にも詞を提供している。
専門の会社に勤めていた事もあってか、映像に関する造詣が深く、電気グルーヴの活動の映像に関してのイニシアティブは基本的に瀧が取っている場合が多い。石野卓球のソロシングルのPV監督を務めた事もある。祖父は画家だが、瀧本人に絵心は全くないとのこと。
電気グルーヴ以外の音楽活動としては「ピエール瀧とベートーベン」(電気グルーヴ脱退後の砂原良徳も在籍)としてライヴやDVD発売などを行っている。