ビワハヤヒデ
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ビワハヤヒデ
品種サラブレッド
性別
毛色芦毛
生誕1990年3月10日
Sharrood
パシフィカス
母の父Northern Dancer
生国 日本福島県桑折町
生産早田牧場
馬主(有)ビワ
調教師濱田光正栗東
競走成績
生涯成績16戦10勝
獲得賞金8億9767万5000円
 ・編・歴 

ビワハヤヒデは日本競走馬種牡馬である。半弟クラシック三冠馬ナリタブライアン、重賞を1勝したビワタケヒデがいる。馬名の由来は「ビワ」は馬主の冠名で「ハヤヒデ」は「速」さに「秀」でるようにとの願いからつけられた[1]

主要勝ち鞍:菊花賞天皇賞(春)宝塚記念など。16戦10勝(内GI3勝)2着5回

※年齢は旧表記(数え年)
目次

1 戦績

1.1 3歳・4歳時代

1.2 古馬時代

1.3 競走成績


2 引退後

3 エピソード

4 主な産駒

5 血統表

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戦績


3歳・4歳時代

1992年9月に3歳の時にデビューし、2着に1.7秒の大差をつけて圧勝する。続くもみじステークス、デイリー杯3歳ステークスを共にレコードタイムで快勝する。1番人気に支持されたGI朝日杯3歳ステークスではエルウェーウィンに競り負けたが翌年のクラシックの有力候補として3歳戦を終えた。

1993年、4歳初戦に陣営はメンバーが手薄な共同通信杯4歳ステークスを選択。しかし前を走るマイネルリマークを捕らえることができず、前走に続いて僅差で敗れる。次走の皐月賞トライアル若葉ステークスからはそれまで騎乗していた岸滋彦が降ろされ、名手・岡部幸雄を鞍上に迎えて、勝利を収めた。

クラシック初戦の皐月賞では一旦は先頭に立つもののゴール直前にナリタタイシンの強襲をうけ2着。続く東京優駿(日本ダービー)でも悲願の日本ダービー制覇を狙う柴田政人騎乗のウイニングチケットに敗れ、ここでも2着となった。

有力馬は秋のGIに体調を合わせるため夏シーズンに放牧に出されることが多いが、調教師の濱田はあえてビワハヤヒデを厩舎に残し徹底的に鍛え上げることにした。初戦の神戸新聞杯ではネーハイシーザーに1馬身1/2差をつけ勝利。本番の菊花賞でも直線入口で抜け出して他馬を寄せ付けず、ステージチャンプに5馬身差をつけてのレコードタイムで悲願のGI制覇を成し遂げた。続く有馬記念では、トウカイテイオーの「奇跡の復活」と称された激走の前に2着と敗れたが、GI1勝、2着3回の実績が評価され、安田記念天皇賞(秋)を制したヤマニンゼファーを抑えて年度代表馬に選ばれた。


古馬時代

1994年、古馬になると4歳春の時のような勝負弱さを完全に克服する。緒戦の京都記念を7馬身差で快勝し、京都競馬場の改修工事のため阪神競馬場で実施された天皇賞(春)でも直線でナリタタイシンに詰め寄られながらも再度突き放すレースぶりで1馬身1/4差をつけて優勝。宝塚記念もほぼ持ったままでレコードタイム勝ちを収める。秋初戦でもオールカマーで4歳時のライバル、ウイニングチケット以下に1馬身3/4差をつけて優勝、秋のGIシーズン、さらには有馬記念でのナリタブライアンとの兄弟対決に向けて最高のスタートを切った。

しかし、1994年10月30日史上2頭目の天皇賞春秋連覇を目指して臨んだ天皇賞(秋)でネーハイシーザーの5着に敗北、生涯で初めて連対を外した。その後、競走中に屈腱炎を発症していたことが判明し、引退を余儀なくされる。結局、翌週の菊花賞を制して三冠馬となったナリタブライアンとの兄弟対決が実現することはなかった。現役最後の年となったこの年は年初からの二つのGIを含む重賞4連勝が評価されJRA賞最優秀5歳以上牡馬(部門名は当時)に選出された。


競走成績

年月日競馬場競走名
数枠
番馬
番オッズ


不朽の名作から
ケータイ小説(笑)まで

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki