ビル・ガリクソン
Bill Gullickson
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 ミネソタ州
生年月日1959年2月20日(49歳)
選手情報
投球・打席右投右打
守備位置投手
プロ入り1977年 ドラフト1巡目
初出場MLB / 1979年9月26日
最終出場MLB / 1994年8月7日
経歴
モントリオール・エクスポズ(1979年 - 1985年)
シンシナティ・レッズ(1986年 - 1987年)
ニューヨーク・ヤンキース(1987年)
読売ジャイアンツ(1988年 - 1989年)
ヒューストン・アストロズ(1990年)
デトロイト・タイガース(1991年 - 1994年)
■Template ■ウィキプロジェクト 野球選手
ビル・ガリクソン(William Lee Gullickson、1959年2月20日 - )は、元プロ野球選手。アメリカ合衆国ミネソタ州出身。
目次
1 来歴・人物
2 エピソード
3 年度別投手成績
3.1 タイトル・表彰
4 外部リンク
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イリノイ州のジョリエット高校を卒業し、1977年6月のMLBドラフトでモントリオール・エクスポズに1位指名(全体で2番目)されエクスポズに入団。1980年にブレークを果たし、10勝5敗という成績を残してナショナルリーグ新人王投票でスティーブ・ハウに続き2位に入る。また、その年の試合で挙げた18奪三振は、1998年にケリー・ウッドが20奪三振で更新するまでルーキーとしては最多であった。この18奪三振という記録は現在のワシントン・ナショナルズの球団記録である。
1981年にはエクスポズにとって唯一となる地区優勝に7勝9敗、防御率2.81で貢献する。この年はストライキの影響で試合数が少なく、勝ち星は伸びなかったが、その後ガリクソンは毎年2桁勝利を挙げ続ける事となった。1986年にシンシナティ・レッズに移籍し、15勝12敗の成績を残す。翌シーズン途中にレッズからニューヨーク・ヤンキースに移籍するが水が合わず、日本の読売ジャイアンツの2億円のオファーを受け海を渡る。
1988年、1989年の2年間、巨人に在籍。糖尿病を患いながらも2年間で21勝(14敗)を挙げる。糖尿病は激しい運動は無理、のイメージを持つ人々にとってインスリンを打っての登板は衝撃的であった。この時の日本生活を振り返り、ガリクソンは「奇妙だった」「唯一見た英語の単語はSonyとMitsubishiだけだった」と後述している。
1990年よりアメリカメジャーリーグ・ヒューストン・アストロズに復帰、1991年にはデトロイト・タイガースで自己最高となる20勝(9敗)を挙げアメリカンリーグ最多勝利投手に輝いた。しかし、1994年にケガのため引退。
エピソード
桑田真澄投手と仲が良く、息子のミドルネームに「クワタ」と名付けたエピソードでも知られる。桑田の選手生活晩年にメジャー挑戦を決意させたのも、この頃桑田にメジャーについて語ったことが大きく影響している。娘のカーリー・ガリクソンはプロテニスプレーヤー。
社会的貢献をした小児糖尿病患者を表彰するため、1998年に日本糖尿病協会が制定した「ガリクソン賞」にその名が冠せられている。
長嶋茂雄の息子、長嶋一茂にプロ入り初本塁打を打たれた。
年度チーム背
番
号登
板完
投完
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