パレスチナ解放人民戦線( - かいほうじんみんせんせん、PFLP、英:Popular Front for the Liberation of Palestine、アラビア語:?????? ??????? ?????? ??????)は、パレスチナ解放機構(PLO)に参加する一組織でマルクス・レーニン主義を掲げるジョージ・ハバッシュ(東方正教キリスト教徒系)によって設立された。「社会主義革命によるパレスチナ解放」を目標とする「パレスチナ急進派」と目される。アメリカ合衆国、EU、カナダおよびイスラエルの各国政府は、PFLPをテロ組織に指定している。
目次
1 組織概要
2 主な活動
3 歴代議長
4 関連項目
5 関連リンク
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PFLPの源流は、1953年にジョージ・ハバッシュが設立した「Harakat al-Qawmiyyin al-Arab(アラブ人の民族運動-Arab Nationalist Movement-ANM)」である。1967年に、アフマッド・ジブリールによって設立された「パレスチナ解放戦線-Palestine Liberation Front-PLF」と統一して、PFLPとなった。
PFLPは「テロに訴えてでもパレスチナに世界の注目を集める」ことも辞さず、PLO内でもファタハ内急進派グループ(「黒い九月」など)と過激な闘争を競った。1968年には、パレスチナ解放民主戦線(DFLP)と分裂。1970年代には欧州各地でのハイジャックなど多数の民間人を巻き込むことも辞さないテロに訴えた闘争を起こした。1978年からイスラエル人あるいは中産階級アラブ人を標的に対する攻撃を数多く行ない、1996年12月には入植者とその息子を殺害している。現在もPLO内の反主流派最大の勢力を維持している。1993年のオスロ合意には反対しPLOを離脱した(1996年復帰)。
PFLPの2000年の第6回国内会議でハバシュは書記長を辞任し、後継としてアブアリ・ムスターファが議長に就任する。しかし、2001年8月にはイスラエル軍はアブアリ・ムスターファ議長をミサイル攻撃で暗殺し、PFLPは報復として2001年11月17日にイスラエルの極右政治家で観光旅行大臣レハバム・ゼエビを射殺する。ムスターファの後を継いだアーマド・サアダート議長は2001年10月の観光相暗殺テロの容疑により獄中にいた。しかし、2006年3月、イスラエルがパレスチナ自治区内にある刑務所に侵攻し釈放直前のサアダートを拘束した。現在PFLPは、パレスチナ自治政府の野党で2006年1月の総選挙でも議席を獲得している。ハマースなどのイスラーム主義=コーランのドグマ化による「イスラーム国家化」に反対して、パレスチナ社会の世俗的なライフスタイルを支持している。現在のPFLPの主な支持基盤は、イスラーム主義者の「神権政治」に脅かされているパレスチナ内のキリスト教徒コミュニティおよび世俗志向の労働者・大学生などであるが、当然ムスリムのメンバーも存在する。現在、千人単位の活動家が、イスラエルの刑務所に囚われているものと思われる。
主な活動
1968年7月23日:ローマ発、イスラエル行ボーイング707型エル・アル航空機のハイジャック
1968年12月26日:ゲリラ2人が、アテネ空港に寄港中のイスラエル航空機に手榴弾を投げ、銃撃。乗客乗員3人死傷
1970年9月6日:西ドイツのフランクフルト発TWA航空機と、スイスのチューリッヒ発スイス航空機など4機を同時ハイジャックし、ヨルダンにあるイギリス空軍用に使われていたドーソン基地に着陸。服役中のゲリラ解放を要求。これにヨルダン国王が激怒。ヨルダン内戦の引き金になる(詳細はPFLP旅客機同時ハイジャック事件を参照)。
1976年6月27日:パリ行きの乗員・乗客合わせて256人搭乗のエールフランス139便エアバスA300がテルアビブを離陸後、PFLPのゲリラとバーダー・マインホフ・グループの流れを汲む西ドイツのゲリラがハイジャック、服役中の40人のゲリラの解放を要求。アフリカ大陸を南下し、ウガンダのエンテベ国際空港に着陸。イスラエル国籍者とユダヤ人だけを人質として残し、他の乗客全員を釈放。7月3日イスラエルが救出作戦を決行。
1973年7月20日:日本赤軍の丸岡修を含む混成メンバーが日本航空機をハイジャックした。