バーブラ・ストライサンド(Barbra Streisand、本名Barbara Joan Streisand,1942年4月24日 - )は、アメリカ合衆国の歌手、女優、作曲家、映画プロデューサー、映画監督。アメリカが誇る大スターの一人である。
ニューヨークのブルックリンで育つ。1962年に歌手としてデビュー。代表曲は「ピープル」、「追憶」等。女優としても活躍し、自身の映画出演作の主題歌を歌ったり、楽曲の提供などもしている。
アカデミー賞は、『ファニー・ガール』で主演女優賞を、『スター誕生』で作曲家としてアカデミー歌曲賞と2度受賞している。別々の分野にまたがり受賞しているのは彼女ぐらいである。また、複数のエミー賞、グラミー賞、ゴールデングローブ賞、およびトニー賞を受賞している。
映画監督としては『愛のイエントル』でデビュー。主演・脚本・製作、そして主題歌と5役を務めた。『サウス・キャロライナ/愛と追憶の彼方』はアカデミー賞の作品賞で候補にあがったが、彼女は監督賞候補にならなかった。
目次
1 来歴
1.1 少女時代
1.2 初期の芸能活動
1.3 歌手としてのキャリア
1.4 映画でのキャリア
2 受賞
3 私生活
3.1 ポップカルチャーでの描写
4 主な作品
4.1 音楽
4.1.1 アルバム・ディスコグラフィ
4.1.2 代表曲
4.2 映画出演
5 参考資料
6 外部リンク
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米国ニューヨーク市のウィリアムズバーグでユダヤ系の家族のもとに生まれ、バーバラ・ジョアン・ストライサンド(Barbara Joan Streisand)と名づけられた彼女は、生後まもなくしてブルックリンへと引っ越す。グラマースクールで文法学の教師をしていた父親のエマニュエルは、彼女が生後わずか15ヶ月のときに亡くなり、継父のルイス・カインドと彼女は不穏な関係であった。母親のダイアナ・アイダ・ローゼンはバーブラが魅力的ではないと感じ、娘にショービジネスを進めることはなかった。この事が、バーブラが長年、ショービジネス界での数々の成功にもかかわらず自分の容姿に劣等感を持ち続けた理由ではないかとされている。
1959年、エラスムス・ホール高校を4番目の成績で卒業。高校ではニール・ダイアモンドと共に合唱部に所属していた。大学へは進学していない。
ストライサンドは、「育ったときはそこ(ブルックリン)は嫌いだったけれど、今はわたしのルーツから力をもらっていると感じる」と述べている(2006年10月17日のトロントコンサートで)。
10代の頃にナイトクラブで歌手としてデビュー。しかし本来は女優志望で、数々のオフオフブロードウェイ演劇に出演していた。当時野心的だった女優ジョアン・リバーズと競演したこともある。ボーイフレンドだったバリー・デネンがクラブで働くように支援したため、1960年、マンハッタンにあるゲイバーで演じたことにより、歌手として成功をおさめた。それと同時期に、ユニークさを出したいと考えたストライサンドは自身の名前をバーブラ(Barbra)に縮めている。
1962年にはミュージカル『あなたには卸値で』でブロードウェイに出演し、その後コロムビア・レコードと契約を結んだ。彼女のデビューアルバム『ザ・バーブラ・ストライサンド・アルバム』は1963年に2つのグラミー賞を受賞した。その後、彼女の人気は低迷することなく、デビュー作から3作目までが同時にビルボードのポップ・アルバム部門のトップテンに入った。当時はロックンロールやビートルズがヒットチャートの大半を占めていたことから、彼女の功績は異例の快挙だと見なされた。
ファニー・ブライスの生涯を題材にした、ジュール・スタインとボブ・メリルの音楽による1964年の『ファニー・ガール』は、『あなたには卸値で』におけるストライサンドのパフォーマンスを見たスタインが彼女のために制作したブロードウェイ・ミュージカルである。しかしショーのプロデューサー、レイ・スタークの妻だったブライスの娘は、ストライサンドをキャスティングするのを強く反対し、彼女よりキャロル・バーネットのほうを好んだという。