バレーボール大韓民国女子代表
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バレーボール大韓民国女子代表国または地域 大韓民国
協会大韓バレーボール協会
監督イ・チョンチョル
オリンピック出場回数9回
初出場東京 1964
最高成績銅メダル(1976)
世界選手権出場回数9回
初出場1967 世界選手権
最高成績銅メダル(1967、1974)
アジア選手権最高成績準優勝(1975、1995、1997、1999、2001)
FIVBランキング11位(2007年11月16日版)

Template(フォーマット)ナショナルチームtemp

バレーボール大韓民国女子代表とは、夏季オリンピック等の国際大会出場時に編成される、大韓民国の女子バレーボール代表チーム。
目次

1 歴史

2 過去の成績

2.1 オリンピックの成績

2.2 世界選手権の成績

2.3 ワールドカップの成績


3 関連項目

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歴史

国際大会の初出場は1964年の東京五輪でそのときは6位で出場国中最下位であった。しかし以後大きな大会にはしっかりと出場して、数々の名勝負を繰り広げていった。とりわけ日本には強いライバル心を持っており、対日本戦ではいつも限界以上の力を出してくる。2004年のアテネ五輪では5位に終わったものの、日本には3-0のストレートで勝利した。

アテネ五輪後は呼び戻したベテランが引退し、急激な大型化世代交代の転換期に入った。平均身長が180cmを越えるなど大型若手選手を積極的に起用、そのため伝統だった硬い守備からの粘り強い執念のバレーは息を潜めた。2005年ワールドグランプリでは2勝7敗と大きく負け越し9位の予選敗退で大会を終了した。その後2006年世界選手権のアジア大陸予選に出場しグループ1位で出場権を獲得する。秋のアジア選手権では3位決定戦で予選で敗れた日本との対戦に再び敗れ4位とメダルを失い、アジア選手権が1975年に初めて開催されて以降12大会連続でメダルを獲得していた韓国が初めてメダルを失うという苦い経験と衝撃が走る大会となってしまった。年末におこなわれた2005ワールドグランドチャンピオンズカップは推薦枠で出場、1勝4敗の最下位6位で終わり、1997、2001、2005と3大会連続で最下位となった。しかしその結果の中にも韓国国内で100年に1人の逸材と言われるキム・ヨンギョンが堂々とした国際大会デビューもあり、将来に望みを繋ぐ成長の1年でもあった。

2006年は新キャプテンにキム・サネが就任し監督も代わり新しい若いチームとなった。2006年ワールドグランプリはキム・ヨンギョン不在の中、高校生の初代表選手を加えるなどさらに若返った韓国チームが見られた。しかしチームの熟成度が浅かったせいで2勝9敗の9位で予選敗退となった。この大会では東京とソウルで2度日本と対戦があったが共に0?3と惨敗した。ホームでの韓日戦敗戦で、代表監督は韓国国民やバレーボール協会関係者からかなりのプレッシャーをかけられた。

2006年世界選手権では、キム・ヨンギョンハン・ユミなどが共に怪我から復帰した。1次ラウンドで韓国は日本戦に相当の研究を重ねてきたと見られ、監督や選手がらは自信に溢れたコメントが聞かれたが結局1?3で敗れアテネ五輪以降対日本戦8連敗に陥った。結局1次ラウンドは2勝3敗の4位で2次ラウンドに進み、2次ラウンドは1勝3敗で過去最低の13位タイに終わった。その直後年末にカタールドーハで行われたアジア大会では準々決勝でタイに敗れ5?8位決定戦に進むことになった、最終順位5位は死守したもののこの大会始まって以来11大会連続で獲得していたメダルを初めて失った。


過去の成績


オリンピックの成績

1964年 ? 6位

1968年 ? 5位

1972年 ? 4位


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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