バルト三国(バルトさんごく)は、バルト海沿岸のエストニア、ラトビア、リトアニアの3つの国をいう。三国とも北大西洋条約機構(NATO)、欧州連合(EU)へそれぞれ加盟している。
古くから西ヨーロッパ(特に北欧諸国とドイツ)とのつながりが深い。経済開放後の北欧資本の進出は目覚しいものがある。特にエストニア人はフィンランド人とは同じ人種(ウラル語族)であり、強い同種意識を持っている。
目次
1 民族
2 歴史
2.1 近代まで
2.1.1 エストニア
2.1.2 ラトビア
2.1.3 リトアニア
2.2 近代以降
3 統計[1]
4 注
5 関連項目
6 外部リンク
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エストニア人は、フィン・ウゴル系民族でフィンランド人と同じウラル語族である。一方、ラトビア人とリトアニア人はバルト系民族(バルト語族)である。ただし、リトアニアが独自の文化を築いて来たのに比べ、ラトヴィアはリヴォニアを基礎としていたため、民族の覚醒は19世紀に起こる。これらの別個の文化を共通化し、また自立化させたのは、中世以来政治的支配を行ってきた少数民族のバルト・ドイツ人であった。
一口にバルト三国というが、近代までは別々の歴史を歩んできている。
エストニアエストニア共和国の国旗
(エストニアの国旗も参照)
詳細はエストニアの歴史を参照
近代まではドイツ語のエストラントと言う地名が主流であった。フィンランドと同じくフィン・ウゴル系民族である。ヴァイキングに侵攻を受けた後は、ロシア人や、デーン人の侵略を受ける。ドイツ騎士団に支配された事もあるが、13世紀にデンマークが領有する。16世紀にリヴォニア戦争が起こると、その支配はスウェーデンに帰する。この時代は、スウェーデン・バルト帝国と呼ばれた。18世紀に起きた大北方戦争の結果、ロシア帝国の支配下に入る。
ラトビアラトビア共和国の国旗
(ラトビアの国旗も参照)
詳細はラトビアの歴史を参照
古くは先住民族としてフィン・ウゴル系民族のリーヴ人が居住していたため、リヴォニアと呼ばれた(ドイツ風にリヴラントとも言われる)。13世紀にドイツ騎士団の一組織リヴォニア帯剣騎士団によって征服される。この騎士団は、常軌を逸した侵略行為を行ったため、民族はほぼ浄化され、後発のバルト人に同化された。これ以降、リヴォニアは、ドイツ騎士団、リトアニア、ポーランド王国によって支配を受ける。16世紀、リヴォニア戦争の後にこの地は分断され、南部はクールラント公国となった。17世紀に北部リヴォニアは、スウェーデン領となり、バルト帝国の一州となった。この地も大北方戦争やポーランド分割の後、18世紀に南北ともロシア帝国に帰することとなった。
リトアニアリトアニア共和国の国旗
(リトアニアの国旗も参照)
詳細はリトアニアの歴史を参照