ハーミド・カルザイ
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アフガニスタン第1代大統領
任期:2004年12月7日 ?
出生:1957年12月24日(50歳)
アフガニスタン・カルツ
配偶:ズィーナト・カルザイ
ハーミド・カルザイ(ダリー語:???? ?????(H?mid Karzai)、1957年12月24日 ‐ )は、アフガニスタンの政治家。アフガニスタン・イスラム共和国大統領(初代)。カンダハール州カルツ出身のパシュトゥーン人。
アフガニスタン暫定行政機構議長、アフガニスタン・イスラム移行政権大統領を歴任。
目次
1 略歴
2 アメリカとの関係
3 カルザイ氏族
4 家族
5 叙勲歴
6 関連項目
7 脚注
8 外部リンク
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略歴
1957年12月24日:出生。
1973年:クーデターによりインド出国。
1979年:ヒマーチャル大学(ヒマーチャル・プラデーシュ州シムラー)で政治学・歴史学専攻。
1985年:リール大学(フランス)でジャーナリズム専攻。
1970年代末にパキスタンに移り、ムジャーヒディーンと接触し始めた。この頃、兄を頼って、一時渡米している。なお、アフガニスタン領内で直接戦闘に参加したことはない。
1982年、シブガトゥッラー・ムジャッディディーが率いるアフガニスタン救国民族戦線に加わり、その報道官となった。1987年、戦線の政治部長。
1992年のブルハーヌッディーン・ラッバーニー政権で外務次官に就任。1994年、ラッバーニー政権から離脱。左からブッシュ大統領、カルザイ大統領、ブッシュ夫人、コンドリーザ・ライス国務長官
ターリバーン政権で誕生当初は同じパシュトゥーン人勢力として支持し、1996年、ターリバーンの駐国連代表に任命された。しかし、次第にターリバーンにパキスタンやアラブ諸国の影響力が強まったため、反ターリバーンに転じた。父親がターリバーンに殺害されている。
2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件以降、アフガニスタンにおけるアメリカ合衆国の協力者としてターリバーン政権の打倒に活躍。12月22日、アフガニスタン暫定行政機構の議長に就任し、2002年6月19日にはアフガニスタン・イスラム移行政権の大統領に就任。2004年10月の直接選挙へ出馬して当選し、同年12月7日に正式な大統領に就任した。
アメリカの大手石油会社ユノカルの役員をしていたことがあるとの報道がある[1]。その会社はカルザイ治世の中でアフガニスタンにインド洋とカスピ海の油田を結ぶパイプラインの建設を行っている。
ハーミド・カルザイは、1957年12月24日、ウルズガン州に生まれた。アフガン国内多数派であるパシュトゥーン人の2大部族連合の内、南部を基盤とするドゥッラーニー部族連合、ポパルザイ部族の名門カルザイ氏族の出身。カルザイ氏族は、18世紀にアフマド・シャー・アブダーリーを王位に推戴した氏族の1つで、全ポパルザイ部族(約50万人)の指導氏族と考えられている。
父のアブドゥル・アハド・カルザイ(1925年 - 1999年)は、ポパルザイ部族長、代議員、ザーヒル・シャー国王の側近であり、憲法の起草にも参加した。1999年7月、ターリバーンにより暗殺。
叔父のハーン・モハマッド・カルザイは、現在、ポパルザイ部族長を務めている。