この項目には、一部のコンピュータや一部の閲覧ソフトで表示できない文字が含まれています(詳細)。
ハングル
類型:表音文字 (フィーチュラルスクリプトでもある)
言語:朝鮮語
発明者:世宗(李氏朝鮮)
時期:1446年-現在
親の文字体系:人工文字
ハングル
Unicode範囲: ⇒U+1100-U+11FF(ハングル字母)
⇒U+3130-U+318F(ハングル互換字母)
⇒U+AC00-U+D7AF(ハングル音節)
ISO 15924 コード:Hang
ハングルによる「百科事典」
ハングル
{{{picture-type}}}
{{{caption}}}
各種表記
ハングル:??
漢字:なし
平仮名:
(日本語読み仮名){{{hiragana}}}
片仮名:
(現地語読み仮名)ハングル
ラテン文字転写:hangeul
{{{alphabet-type}}}:{{{alphabet}}}
ハングル(??、hangeul)、または朝鮮文字は、朝鮮語(韓国語)を表記するための表音文字である。1446年に李氏朝鮮第4代国王の世宗が、「訓民正音」(?? ??,Hunmin Jeong-eum)の名で公布した。北朝鮮ではチョソングルチャ(????,joseongeulja)とも呼ばれる。
目次
1 歴史
2 ハングルの呼称について
2.1 分断以前
2.2 韓国
2.3 北朝鮮
2.4 日本
3 字母と文字構成
3.1 子音字母
3.2 母音字母
3.3 字母の組合せ
3.4 辞書における字母の順序
4 ハングルのローマ字表記
5 文字コード
5.1 完成型と組合型
5.2 Unicode
5.2.1 ハングル大移動
6 その他
7 脚注
8 関連項目
9 外部リンク
//
朝鮮語は15世紀半ばまでそれを表記する固有の文字を持たず、口訣・吏読など万葉仮名のように漢字を借りた表記法により断片的・暗示的に示されてきた。このような状況の下で李氏朝鮮(朝鮮王朝)第4代国王の世宗(在位1418年-1450年)は固有の文字であるハングルの創製を積極的に推し進めたが、その事業は当初から事大主義的な保守派から猛烈な反発を受けた。1444年に集賢殿副提学だった崔万理らはハングル創製に反対する上疏文を提出し「自古九州之内、風土雖異、未有因方言而別爲文字者。唯蒙古・西夏・女眞・日本・西蕃之類、名有其字、是皆夷狄事耳、無足道者。(昔から諸地域は風土が異なるが、方言に基づいて文字を作った例はない。モンゴル・西夏・女真・日本・チベットなどは文字を持つが、これらはみな未開人のなすことであり、言うに足るものではない。)」と述べている。世宗はこのような反対派を押し切り、集賢殿内の新進の学者らに命じて1446年に訓民正音の名でハングルを頒布することとなった。この際、モンゴルのラマ教徒が使用していたパスパ文字などを参考にしたという説がある(パスパ文字を参照)。
当時の支配者層である両班における公的な書記手段は漢文であり、中人・下級官吏の書記手段は吏読であった。従って、ハングルがこれらの階層において正規の書記手段として受け入れられることはなく、その結果ハングルは大体において民衆の書記手段として広まることになる。とはいえ、実際には民衆のみならず、両班階層の私信や宮中の女子間の公文書などにもハングルが盛んに用いられ、その使用はかなり広範囲に及んでいた。
ハングルはまず国家的な出版事業において活用された。ハングル創製直後1447年には王朝を讃える頌歌『竜飛御天歌』、仏を讃える頌歌『月印千江之曲』、釈迦の一代記である『釈譜詳節』が相次いで刊行され、次いで1448年には韻書『東国正韻』を刊行した。その後も国家によるハングル文献の刊行は続き、諺解書(中国書籍の翻訳書)を中心にその分野は仏典・儒教関連書・実用書など多岐にわたる。刊行された書籍は各地で覆刻され版を重ねることが少なくなかった。
仏典:李朝初期には刊経都監が設置(1461年)され仏典翻訳が盛んに行われた。『楞厳経諺解』(1461年)、『法華経諺解』(1463年)、『金剛経諺解』(1464年)、『般若心経諺解』(1464年)、『円覚経諺解』(1465年)など15世紀に多くの仏典が刊行された。
儒教関連書:李氏朝鮮が儒教を国教としたことにより、儒教関連書は李朝を通して盛んに刊行された。四書五経などの翻訳本として『翻訳小学』(1517年)、『大学諺解』(1590年)、『周易諺解』(1606年)、『詩経諺解』(1613年)などがあり後世に重刊本も刊行された。