ネルソン・グッドマン(Nelson Goodman, 1906年8月7日 - 1998年11月25日)はアメリカの哲学者。認識論、言語哲学、美学などで業績を残した。
目次
1 生涯
2 代表的な哲学的貢献
2.1 唯名論
2.2 グルーのパラドックスと投影可能性
2.3 論理体系の正当化
2.4 世界製作論
2.5 芸術の言語的解釈
3 主著
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1928年にハーバード大学を卒業。ボストンで画廊を経営しつつハーバードの大学院で学び、1941年に学位取得。第二次世界大戦に従軍し、戦後はペンシルバニア大学(1946-1964)やハーバード大学(1968-) で教鞭をとった。
グッドマンの哲学を通底するのは唯名論の考え方である。
グルーのパラドックスは帰納にまつわるパラドックスの一つで、グッドマンによって「帰納の新しい謎」(new riddle of induction)というタイトルの論文の中で発案された。 グルー(grue)とは、たとえば、「2050年までに初めて観察されたものについては緑(green)を指し、2050年以降に初めて観察されたものについては青(blue)を指す」と定義される(グルーは、緑と青の切れ目にどの時点をとるかで無数の定義がありうる)。「エメラルドは緑である」という命題について2000年の段階でわれわれが持つ証拠はすべて、「エメラルドはグルーである」という命題の証拠にもなるため、この2つの命題は同じくらい強く検証されている。しかし、2050年以降に初めて観察されるエメラルドがどういう色を持つかについてはこの2つの命題はまったく異なる予測をすることになる。 このパラドックスはヒュームの懐疑主義をうけて、その深刻さを示すものである。ヒューム的な懐疑を避けるために斉一性原理(すでに観察したものはまだ観察していないものと似ている)を認めたとしても、どういう斉一性を想定するか(エメラルドは緑だという斉一性か、エメラルドはグルーだという斉一性か)によって、事実上あらゆる予測が斉一性原理と両立してしまう、ということを示している。 われわれは、無意識に投影可能 (projectible)な述語(緑はこちらに分類される)とそうでない述語(グルーはこちらに分類される)を分け、projectibleな述語のみを帰納に使う。しかし、投影可能性を正確に定義することも投影可能な述語だけが帰納に使えると考える根拠を示すことも非常に困難である。
論理学の基本的な推論規則や公理はどのようにして正当化されるのかということについて、グッドマンは、循環的な正当化のモデルを呈示した。それによれば、個別の推論の正当化は確かに推論規則や公理に照らしてなされるが、推論規則や公理の正当化は、それを具体例にあてはめたときに出てくる個別の推論がわれわれにとって受け入れ可能かどうかということで判断される。 論理体系の正当化についてのこの考え方は、のちに倫理学の領域でジョン・ロールズによって採用され、反省的均衡という名前で流布されることとなった。
1975年の『世界製作の諸方法』において、グッドマンは認識主体の側の世界への関わり方によって世界が制作されるという、一種の構成主義的反実在論の立場を展開した。「緑」と「グルー」のどちらを選ぶかという選択に見られるように、われわれがどういう述語を使って世界を切り分けるかで、世界を構成する基本的なカテゴリー、すなわち世界の存在論は全く変わってくる。どの切り分け方が正しいわけでもないので、無数のことなる存在論が並立することになる。共通するのはカント的な「物自体」の部分だけであるが、物自体の世界には実質的なカテゴリーは存在しないので、存在論的には何も共通していないというのに等しい。 グッドマンのこうした考え方はヒラリー・パトナムに影響を与え、パトナムが内的実在論を展開する一つの起因となった。
グッドマンはまた美学の分野において芸術を言語的表現の形式だととらえる立場も展開している。
主著
『事実・虚構・予言』雨宮民雄訳, 1987年 勁草書房(Fact, fiction, and forecastの邦訳)
『世界制作の方法』菅野盾樹, 中村雅之訳, 1987年(みすず書房)、2008年(筑摩書房) (Ways of worldmakingの邦訳)
表・話・編・歴科学哲学のトピックス
科学と非科学線引き問題 - 反証可能性 - プロトサイエンス - 科学における不正行為 - 病的科学 - 疑似科学
帰納の問題帰納 - ヘンペルのカラス - 斉一性の原理 - グルーのパラドックス
科学理論パラダイム - 通約不可能性 - ハードコア - デュエム-クワイン・テーゼ
観測観測選択効果 - 人間原理