ネッカー川 (Neckar) はドイツを流れる川。ライン川の支流で、全長367km。主にバーデン=ヴュルテンベルク州内を流れ、下流域では、短い区間ではあるが、同州とヘッセン州との州境をなしている。
標高706mのフィリンゲン=シュヴェニンゲンの近くにあるシュヴェニンゲン・ムースからマンハイムでライン川に合流する(標高95m)。ネッカー川は、プロヒンゲンまで船の遡上が可能で、このためライン川、マイン川とともにバーデン=ヴュルテンベルク州内にある3つの連邦水路の一つとなっている。プロヒンゲン、シュトゥットガルト、ハイルブロン、マンハイムがその恩恵にあずかっている。
目次
1 名前の由来
2 行程
3 流域
4 自然回復
5 歴史
6 支流
7 都市と自治体
8 港
8.1 プロヒンゲン港
8.2 シュトゥットガルト港
8.3 ハイルブロン港
8.4 閘門
9 橋
10 城館
11 関連項目
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「ネッカー」の名はケルト語に由来し、「荒れた川」を意味する。元々「荒々しい」を意味する「nik」が語源となり、紀元前から「Nikros」と呼ばれており、「Nicarus」?「Neccarus」と変遷し、「Necker」となった後、現在の「Neckar」となった。
ネッカー川の水源は、フィリンゲンとシュヴェニンゲンの間にあるシュヴェニンゲン・ムースと呼ばれる地域にある。「公式な」水源はシュヴェニンゲンのメクリングスヘーヘ公園(Stadtpark Moglingshohe)にある。ロットヴァイルのやや上流あたりでは、ネッカー川はバール(シュヴァルツヴァルトとシュヴェービッシェ・アルプの間の高地。 ⇒de:Baar (Landschaft))の高原を流れる小川である。
エシャッハまで下るうちに大きくなり川らしくなってゆく。同時に川は狭く森に囲まれた谷を流れるようになり、この地形が約80km続く。こうしてネッカー川はシュヴァルツヴァルトとシュヴェービッシュ・アルプの森を北に向かって抜けて行く。ゴイの手前ホルプで北東に向きを転じ、山麓に沿って流れる。ロッテンブルクからはチュービンゲン盆地に入る。チュービンゲンまでは再び狭い谷間となる。
プロヒンゲンで川は急に北西に向きを変える。同時にフィルス川と合流して水嵩を増し、船の航行が可能となる。特に州都であるシュトゥットガルトとの水運を得ることでここからは川沿いに工業企業が立ち並ぶようになる。エスリンゲンからはこれにワイン畑が風景に加わる。
シュトゥットガルトを離れ、ルートヴィヒスブルク地方を流れ下るうちに、レムス川、ムル川、エンツ川といった支流を集め、大河となって行く。ハイルブロン付近の低地で、ネッカー川は再び開けた地形を流れる。その後、バート・ヴィンプフェンとモースバッハとの間はオーデンヴァルトの鬱蒼とした丘陵地となる。北に向かう川はこの後再び急角度に向きを変え、僅かにヘッセン州ヒルシュホルンを流れてネッカーシュタイナハまでの間ヘッセン州とバーデン=ヴュルテンベルク州との境界をなす。ハイデルベルクで、ライン平野に至り、その後すぐにマンハイムでライン川と合流する。
ネッカー川は平均流量145m3/sで、ドイツで10番目に大きな川である。
ネッカー川の流域面積は、バーデン=ヴュルテンベルク州中央部の14,000km2に及ぶ。工業用水、水運、水力発電と様々な用途に利用されており、河川環境に大きな影響を及ぼしている。
最近になって、ネッカー川の自然を回復しようという新しい動きが始まっている。その目的は、川のシステマチックな環境浄化、水質改善、護岸の改善を行い、川沿いに魅力的なレクリエーション・エリアを造ろうというものである。
歴史エルンスト・フリース作 "Stift Neuburg und das Neckartal" (1830年頃)
ネッカー川の利用が始まったのは1100頃。以来、約800年間ネッカー川は、専ら木材輸送に用いられてきた。1476年、ネッカー川全流域の自由貿易に関する取り決めが合意された。シュヴァルツヴァルトの木材はこの川を通してオランダまで運ばれた。大航海時代に入り、より多くの木材が必要となったためである。プロヒンゲンではシュアヴァルトから伐り出された燃料用の木材が260mもの長さのいかだとなって川面を覆った。1899年、最後の筏がエスリンゲンを流れ下った。いかだ流しは鉄道に完全に取って代わられたのである。
1713年まで大型船舶はハイルブロンまでしか航行できなかった。その後、シュトゥットガルト=カンシュタットまで改修がなされ、さらにエスリンゲン付近の改修がなされたことにより、プロヒンゲンまでの航行が可能となったのである。1873年のネッカー川航行規制によって規制が単純化されたことにより、他の物資の水上輸送が活発化し、その後15年間でネッカー川を航行する船舶数は3倍になった。当時の船は川をさかのぼる際には、牽引道から馬に引かれて遡上した。19世紀後半の鉄道と競合する上で、これは効率的な方法ではなかった。ネッカー川の水運が再び隆盛を見せるのは1878年のKettenschlepperei (「鎖による牽引の時代」)の始まりによってである。マンハイムとハイルブロンの間115kmを蒸気船が小舟を牽引してさかのぼることで、馬に引かせて5-8日かかっていたのを2-3日に短縮することができたのである。