ドーリットル空襲
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ドーリットル空襲

ホーネットからのドーリットル隊の発艦
戦争:太平洋戦争
年月日:1942年4月18日
場所:東京
結果:-
交戦勢力
日本軍アメリカ軍
指揮官
-ジミー・ドーリットル中佐
戦力
-B-25、16機
損害
死者50人、家屋262戸戦死1名、行方不明2名、捕虜8名
ミッドウェー作戦
K作戦 - ドーリットル空襲 - ミッドウェー - アメリカ本土空襲 - アリューシャン方面 - アッツ島沖 - アッツ島 - キスカ島 - コテージ作戦

ドーリットル空襲(-くうしゅう、英語:Doolittle Raid)、またはドゥリットル空襲とは、太平洋戦争中の1942年4月18日に、アメリカ軍航空母艦に搭載した陸軍爆撃機によって行った日本本土に対する空襲である。名称は空襲の指揮官の名前に由来する。
目次

1 背景

2 経過

3 影響

3.1 ミッドウェー海戦

3.2 中国大陸飛行場の破壊

3.3 アメリカ本土空襲

3.4 成増飛行場


4 エピソード

4.1 シャングリラ


5 関連項目

6 外部リンク

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背景

真珠湾攻撃以降一方的な敗退を続け、さらに開戦後の1942年2月24日には、日本海軍伊17乙型大型潜水艦によるアメリカ本土のカリフォルニア州サンタバーバラのエルウッド石油製油所への砲撃を受け、大きな衝撃を受けたアメリカ軍は、士気を高める方策として帝都東京を爆撃する計画を立てた。

アメリカ陸軍は長距離爆撃機を保有していたものの、その行動半径内に日本を収める基地は無く、ソ連領土日ソ中立条約のため、爆撃のための基地使用は行えなかった。また、アメリカ海軍の空母艦載機は航続距離が短く、爆撃のためには空母を日本近海に接近させる必要があり、これは太平洋上で唯一動ける空母機動部隊が危険に晒されることを意味した。そんな中、アメリカ海軍の潜水艦乗組員が「航続距離の長い陸軍の爆撃機を空母から発艦させてはどうだろうか」とルーズベルト大統領に進言。B-25爆撃機を急遽、空母の短い飛行甲板から発進出来るように軽量化を図った。

陸軍爆撃機の空母からの発艦は実戦では初であり、この作戦はトップシークレットとされた。また、空母に着艦するのではなく、日本列島を横断して当時、日本軍と戦争中であった中華民国東部に中華民国国軍の誘導信号の下で着陸する予定となった。B-25を搭載する空母はホーネットとされ、エンタープライズが護衛に付くこととなった。


経過

1942年4月1日、16機のB-25を搭載した空母ホーネットおよび護衛の巡洋艦3隻、駆逐艦3隻はサンフランシスコを出撃した。途中、エンタープライズと巡洋艦2隻、駆逐艦4隻と合流し、日本へ向かった。攻撃予定日前日の4月17日、発艦予定海域手前で日本軍特設監視艇第二十三日東丸に発見された。第二十三日東丸は軽巡ナッシュビルの砲撃で撃沈され、乗員14人全員は艇と運命を共にした。日本軍に発見されたことで、爆撃隊は予定より早く空母ホーネットを発艦した。なお、ナッシュビルはもう1隻監視艇(長渡丸)を撃沈している。

ジミー・ドーリットル中佐率いるB-25爆撃機16機は東京府東京市神奈川県川崎市横須賀市愛知県名古屋市三重県四日市市兵庫県神戸市を爆撃した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki