ドーファン(dauphin)はフランス王国の王太子の称号。正式には「ヴィエノワのドーファン」(dauphin de Viennois)という。1350年からオルレアン朝期まで用いられた。
ヴィエンヌ伯ギー8世はイルカの紋章を用いていて、ル・ドーファン(le Dauphin, フランス語でイルカ)の異名を持っていた。「ヴィエノワのドーファン」の称号はギーの家系によって受け継がれてきたが、 1349年にウンベール2世がドーフィネと次第に呼ばれるようになっていた荘園をフランス王フィリップ6世に売却した際、以後はフランス王位の相続人のみがドーファンの称号を用いるという取り決めがなされた。一方、もともとドーファンの称号を使っていたヴィエンヌ伯家の分家であるオーヴェルニュ伯の子孫はドーファン=ドーヴェルニュの称号を保持・使用し、それはフランス革命まで続いた。
最初にドーファンの称号を与えられたフランス王子はシャルル5世であった。当時、王太子であったのは、ノルマンディー公ジャン(後のフランス王ジャン2世)であり、売却交渉中はジャンが念頭に置かれていたが、フィリップ6世が亡くなったため、孫であるシャルルに与えられることになった。この称号はおおよそイングランドにおけるプリンス・オブ・ウェールズに相当するものである。1461年以前は正式には「神の恩寵による、ヴィエノワのドーファン、ヴァランティノワとディオワの伯爵」(par la gr?ce de Dieu, dauphin de Viennois, comte de Valentinois et de Diois)といった(ラテン語のグラティア・デイ・ダルフィニウム・ヴィエネンシス…の仏語訳)。当時のヴィエンヌは神聖ローマ帝国領であり、シャルルは成人した後、叔父である皇帝カール4世にヴィエンヌに関する臣従礼を捧げた。
ヴァロワ・アングレーム朝の始祖フランソワ1世は、父の従弟であるヴァロア・オルレアン家のルイ12世から王位を継承したが、ドーファンの称号は授かっていなかった。また、ルイ14世の治世には、ドーファン・ド・ヴィエノワではなく、ドーファン・ド・フランスと呼ぶようになった。
関連項目
プリンス・オブ・ウェールズ
アストゥリアス公
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更新日時:2008年8月6日(水)10:47
取得日時:2008/08/24 00:28