セイヨウショウロ
分類
界:菌界 Fungi
門:子嚢菌門 Ascomycota
綱:盤菌綱 Discomycetes
目:カイキン目 Tuberales
科:セイヨウショウロ科 Tuberaceae
属:セイヨウショウロ属 Tuber
和名
セイヨウショウロ
英名
Truffle
仏名
Truffe
セイヨウショウロ(西洋松露、Tuber spp.、トリュフ)とは、子嚢菌門セイヨウショウロ科セイヨウショウロ属のきのこの総称。広葉樹の根に菌根をつくって生育し、地中に塊状の子実体を形成する。
ヨーロッパにおいては世界三大珍味とされる高級食材で、「黒いダイヤ」とも呼ばれる。フランス産のペリゴール・トリュフ(黒トリュフ)T. melanosporum Vitt.とイタリア産の白トリュフT. magnatum Picoが特に珍重され、他にも数種のヨーロッパ産セイヨウショウロが食用に採取されている。日本ではクロアミメセイヨウショウロT.aestivum Vitt.(ヨーロッパにも分布し、夏トリュフと呼ばれる)やイボセイヨウショウロT. indicum Cooke et Masseeなどの近縁種が最近になって報告されている。近年中国産のイボセイヨウショウロは、黒トリュフや白トリュフの廉価な代用品として大量にヨーロッパに輸出されている。
トリュフ自体は香りがあるが味はほとんどなく、サラダにスライスして入れたりする。
同名で、トリュフの形状を模したチョコレート菓子がある。ガナッシュをココアパウダーで包んで作るのが一般的。
「南仏プロヴァンスの昼下がり」などで知られる作家のピーター・メイルが、トリュフの話題を南仏プロヴァンスもののエッセイの中心にすえて、日本でも広く一般にその味覚が話題になるようになった。白トリュフ
目次
1 概要
1.1 はじめに
1.2 食用としての使用法
1.3 生産の方法
1.4 トリュフのいろいろ
1.5 世界一高価なトリュフ
1.6 参照
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トリュフはふつうオークの木の根本から半径120-150cm以内の5-40cmの深さで発生する。中東と地中海沿岸に見られるイモタケ類を含めいろいろな種類がある。
トリュフの子嚢果(子実体)は食用として大いに賞揚されている。1825年にジャン・アンテルム・ブリア=サヴァラン(Brillat-Savarin)はその著書「美味礼讃」の中で、トリュフを「台所のダイヤモンド」と称し、その媚薬としての効能を賞賛した。トリュフの媚薬としての効果は定かではないが、フランス、北部イタリア、イストリア地方の日常の料理、および国際的なグルメ界では今でも高い評価を保っている。
トリュフは価格が高く味も刺激的なため、少しずつ使用する。白トリュフは一般に茹でてバターを絡めたパスタやサラダの上に生のまま削ってかける。紙のように薄く削った白または黒トリュフは、肉やローストした鳥の皮の下、フォアグラやパテに挟んだり詰め物に入れたりする。トリュフを含むチーズも同様である。黒トリュフの香りは白トリュフよりはるかに刺激が少なく、より洗練されたものである。新鮮な土、マッシュルームを思わせるようなもので、新鮮なときにはその香りはすぐに部屋いっぱいになる。
長らく謎だったトリュフの栽培方法は、ジャン・アンテルム・ブリア=サヴァランが特徴的な懐疑とともに次のように記している。「教養ある人々がその秘密を探り当てようとし、その種を発見したと思いこんだ。しかし彼らの約束は実現せず、植えても何の収穫もなかった。たぶんこれは結構なことで、トリュフの大きな価値の一つは高価であることであって、もっと安ければこうまで高くは評価されないだろう。『喜べ友よ』私は言った。『とびきりのレースがとても安く作られるようになるぞ』『なんてこと』彼女は答えた。『考えても見て、もしも安くなったら、誰がそんなものを身につけるというの?』」(ジャン・アンテルム・ブリア=サヴァラン、1825年)
しかしながら、根強い伝説とは裏腹に、トリュフは栽培できる。1808年にトリュフ栽培の試みは成功しており、フランスでは「トリュフィ・クルチュール(トリュフ栽培製品、trufficulture)」として知られている。人々は昔からトリュフはある種の樹木、特にオークの木の下の根に沿って発生することを観察しており、事実トリュフが宿主樹木と共生して生活していることが科学的に証明された。1808年、南フランスのヴォクリューズ県アプトのジョゼフ・タロン(Joseph Talon)は、トリュフの宿主となることが分かっているオークの木の下から集めたドングリをその根の間に播くことを思いついた。実験は成功し、数年後、新しく育てたオークの木の周囲の土の中にトリュフが発生した。1847年、ヴォクリューズ県カルパントラのオーギュスト・ルソー(Auguste Rousseau)が7ヘクタールにわたってオーク(これもトリュフが発生する木の周りから得たドングリ)を植え、その後大量のトリュフの収穫を得た。彼は1855年のパリ万国博覧会で賞を得た。
これらの試みの成功は、トリュフの生育に必要な暑く乾燥した気候の石灰岩地帯である南フランスに熱狂をもたらした。19世紀の末に、南フランスのぶどう園が侵入害虫のブドウネアブラムシによって壊滅した。別の伝染病のため南フランスのカイコが壊滅したため、桑園も無用になってしまった。こうして、広大な土地がトリュフ栽培のための空き地となった。トリュフを生産する樹木が何千本も植えられ、19世紀の末には生産は数百トンのピークに達した。1890年には750平方キロのトリュフ園があった。
しかし20世紀にはいると、フランスの工業化とそれに伴う郊外への人口の移動により、これらのトリュフ園は放棄されてしまった。