チューク諸島 (Chuuk Islands) は西太平洋、カロリン諸島の島。周囲200km、248もの島々からなる世界最大級の堡礁であり、現在ミクロネシア連邦のチューク州の州都でもある。主島はチューク環礁。かつてはトラック諸島 (Truk Islands) と呼ばれていた。
目次
1 歴史
2 政治
3 文化
4 自然
5 交通
6 旧日本軍との関わり
7 島名・水道名
8 関連項目
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チューク環礁に人類が辿り着いたのは西暦の紀元前だと考えられている。具体的なルーツははっきり解っていないが、現在のところ最も有力な説は、ソロモン諸島やビスマルク諸島方面からアウトリガー・カヌーに乗って北上してきた航海者たちがこの島々に住み着いたというものである。その後スペインの植民地となり、次いでドイツの植民地を経て、第一次世界大戦終結後の国際連盟決議にて大日本帝国の委任統治領となり、南洋庁の支庁が置かれた。武装化は禁止されていたが、1933年の国際連盟脱退、1936年のワシントン軍縮条約失効などにより、加速度的に基地の整備が推進され戦略上の要衡となり、第二次世界大戦の敗戦まで統治を継続した。日本の敗戦後はアメリカによる国連信託統治を経て、1986年のミクロネシア連邦独立に至る。
ミクロネシア連邦の一州を為しているが、同時に古代からの酋長制も残存している。酋長は現在でも強力な権威を持っており、無視しえない存在である。毎日オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)所属の元プロ野球選手の故・相沢進(2006年5月死去)が酋長会議の議長を務めていたこともある。2006年時点での酋長は36人。
主要な言語はチューク語である。チューク環礁の離島として扱われるプルワット環礁やプンナップ島には現在も伝統的な航海術(「スター・ナヴィゲーション」)を伝える航法師たちが存在している。
自然 この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
交通
チューク国際空港 - グアムとの間に定期航空便がある。
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米国の植民地、フィリピンと太平洋艦隊母港の真珠湾を結ぶライン上に位置するという地理的重要性と、太平洋の荒波から環礁によって隔離された広大な内海という泊地能力の高さから日本海軍の一大拠点が建設された。トラック諸島を基地化したことで、海軍は予想艦隊決戦海域を小笠原沖からマリアナ沖へと前進させるなど、基本戦略に大きな影響を受けた。
1941年に入ると武装化に拍車がかかり、竹島飛行場は陸上攻撃機の離着陸が可能なように拡大整備され、夏島には水上機基地が設けられた。島々の各所には要塞砲が設置され、3万トンの重油保管タンク、4000トンの航空燃料保管タンクの設置も進められた。「小松」や「南国寮」などといった有名な海軍料亭の支店もあった。
太平洋戦争中は、連合艦隊主力が進出、優れた泊地能力を活かし、根拠地として能力を遺憾なく発揮。また、ラバウル航空基地を始めとする南方基地への中継地として航空移動の中心的役割も果たしていた。しかしソロモン諸島の戦いの頃は燃料補給不足や船腹不足によりタンカー調達もままならず、3万トンの重油保管タンクは既に空の状態であった。
1944年2月17日・18日にアメリカ機動部隊の大規模な空襲を受け(トラック島空襲)、実質的に軍事基地としての機能を喪失したが、飛び石作戦を取っていた米軍は上陸せず、終戦まで日本の支配下にあった。ただしマリアナ諸島陥落後は補給を断たれ、駐留部隊は自給自足を強いられた。
なお空襲の際主力艦は既に退避し、商船改造艦などの支援艦(平安丸等)のみが裸同然で残されており全艦撃沈されている。
現在でも各地に旧日本軍基地の跡が残り、空襲で沈んだ艦船はダイビングスポットになっている。
環礁内は航空母艦が全速航行しながら艦上機を発艦させられるほどの広さがあり、散在する島々には日本語の名前が付けられていた。
島名・水道名チューク諸島の地図(日本統治下の地名)チューク諸島の地図
主な島は次の通り(カッコ内は現在の島名)。
四季諸島
春島(ウエノ島またはモエン島)チューク州の中心地。日本統治時代に作られた飛行場が今も使われている。
夏島(トノアス島またはデュブロン島)日本統治時代の中心地。飛行場もあった。