ティモ・グロック
F1での経歴
国籍 ドイツ
車番12
所属チームトヨタ
活動時期2004・2008 -
過去の所属チームジョーダン・グランプリ
出走回数19
優勝回数0
通算獲得ポイント22
表彰台(3位以内)回数1
ポールポジション0
ファステストラップ0
F1デビュー戦2004年カナダGP
初勝利-
2008年順位10位 (20ポイント)
(記録は2008年第15戦終了時)
表・話・編・歴
ティモ・グロック(Timo Glock, 1982年3月18日 - )は、ドイツ・リンデンフェルス出身のF1ドライバー。
目次
1 来歴・人物
1.1 プロフィール
1.2 キャリア初期
1.3 F1デビュー
1.4 チャンプカーとGP2(2005-2007)
1.5 F1(2008-)
2 F1での年度別成績
3 脚注
4 参照資料
5 外部リンク
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プロフィール
身長: 169cm
体重: 64kg
趣味: カートレース、トレーニング
婚姻の有無:独身
(2008年8月現在)
幼い頃からモトクロス、カートとレースに親しんだ。 1996年にモトクロスに参戦、翌1998年[1]15歳で本格的にレース活動を始め、2000年にBMW-ADACフォーミュラ・ジュニアカップへステップアップし、参戦初年度でチャンピオンに。2001年はチーム・マメロウからADACフォーミュラチャンピオンシップに参戦して勝利を挙げ、2002年はKMSモータースポーツからドイツF3に参戦。年間3位で終える。そして2003年にはF3ユーロシリーズに参戦、3勝と優勝以外の表彰台登壇3回をもぎ取り総合5位[2]。
2004年にF1ジョーダン・グランプリのサードドライバーに選ばれ、カートデビューからわずか4年でF1界進出を果たした。さらに同年、思わぬ形で初レースの機会を得る。第8戦カナダGP直前にジョルジョ・パンターノが契約上の問題で出走できなくなり、急遽代役として出走することになったのだ。そして初めての予選でチームメイトのニック・ハイドフェルドの真後ろである16番手を獲得、決勝レースではハイドフェルドより前の7位で完走し、初レースながら2ポイントを獲得した。
続くアメリカGPからはパンターノが復帰しテストドライバーに戻ったが、中国GPから最終までの三戦で再び交代、レースドライバーに。得点こそかなわないもののまずまずのペースを見せる。しかし翌年のオプションが制限されていたため、ジョーダンのシートを失い、F1を離れることになった(なおパンターノもこの年限りでF1を離れる)。
2005年はロケットスポーツ・レーシング ⇒en:Rocketsports Racingからチャンプカー・ワールドシリーズに参戦し、この年の最優秀新人賞に選ばれた。年間8位。
2006年はGP2にiスポーツ・インターナショナルから参戦し、最終戦を欠席しながら2勝を挙げ年間4位。
2007年はBMWザウバーのテストドライバーを務め、同時にGP2にも引き続きiスポーツ・インターナショナルから参戦。ルカ・ディ・グラッシらを抑え5勝、シリーズチャンピオンを獲得した。この年の終わり、パナソニック・トヨタ・レーシングからラルフ・シューマッハの後任としてのレギュラードライバー契約のオファーを受ける。BMWザウバーとのテストドライバー契約が残っていたためF1の契約承認委員会(CRB)に決定を委託することになったが、最終的には同委員会の承認により正式にトヨタF1のドライバーとなることが認められた。パナソニック・トヨタ・レーシングの提示した額はBMWザウバーのテストドライバー契約金の約10倍といわれる[3]。
2008年、パナソニック・トヨタ・レーシングのセカンドドライバーとしてレースを走る。初め数戦は予選・決勝ともに精細を欠き、何度か大きなアクシデントも経験するなど実力を出せずにいたが、荒れたレースとなった第7戦カナダGPで4年ぶりの入賞である4位入賞を果たす。なお4年前入賞を飾ったのもカナダGP。
その後、ハンガリーGPでも予選5位に食い込んだ上で決勝も堅実なレース運びを見せ、性能に勝るフェラーリのキミ・ライコネンを抑えきり、トップ走行中だった同フェラーリのフェリペ・マッサのエンジントラブルにも助けられ2位入賞。