ティエリ・アンリ
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ティエリ・アンリ

名前
本名ティエリ・ダニエル・アンリ
愛称ティティ
カタカナティエリ・アンリ
ラテン文字Tierry Henry
基本情報
国籍 フランス
生年月日1977年8月17日(31歳)
出身地パリ
身長188cm
体重83kg
選手情報
在籍チームFCバルセロナ
ポジションFW
背番号14
利き足右足
代表歴
1997- フランス107 (48)
2008年10月15日現在



Template(ノート 解説)サッカー選手pj
アーセナル時代

ティエリ・ダニエル・アンリ(Thierry Daniel Henry 、1977年8月17日 - )は、フランスパリ出身で、同国代表FCバルセロナ所属のサッカー選手。ポジションはFW。愛称は「ティティ」。
目次

1 略歴

1.1 クラブチームでの実績

1.2 フランス代表としての実績


2 プレースタイル

3 所属クラブ

4 タイトル

5 人物

6 個人成績

7 外部リンク

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略歴


クラブチームでの実績

12歳から15歳頃まで、フランスサッカー学院(INF/クレールフォンテーヌ)でセンターフォワードとしてプレー。14歳の時に既にASモナコのスカウトの間では噂となっていたという。15歳でフランスU-15にも選出。パレソーなどで短期間プレーし、ASモナコのスカウトが視察した試合で7得点を挙げ実力をアピール。16歳の時、父アントワーヌが仮契約書にサインし遂に入団する。余談だが、アントワーヌはティエリの試合を見てから出勤したため、仕事に遅れ失業した。

下部組織で得点を量産していたのを当時トップチームの指揮官であったアーセン・ベンゲルが注目。94-95シーズンにトップチームに昇格し、ウイングとして1994年8月31日に対ニース戦でトップリーグ(リーグ・アン)デビュー。このシーズンは8試合3得点。その後は着実な成長を遂げ、96-97シーズンには36試合9得点、UEFAカップで1得点を記録し徐々に頭角を現していった。

98-99シーズン半ばにユヴェントスに移籍したが、水が合わず、加えて不慣れな左ウイングバックに起用されたため、わずか3得点に留まる。1999年8月、ベンゲルが監督を務めるアーセナルFCに移籍(ニコラ・アネルカをレアル・マドリードに約45億円で放出したバックグラウンドがある。アンリの移籍金はアネルカの約半分。加えて、アンリ自身がベンゲルに直接電話してアーセナルへの移籍願望を伝えた事により移籍が実現)。ニュータイプのフォワードの構想をしていたベンゲルは、彼をウイングからセンターフォワードにコンバート。初年度こそ戸惑いを見せていたものの(最初のシュートは金網にたたき込んだ)、点を取る喜びを知り、アンリの才能は開花した。

アーセナルでアンリは、圧倒的なスピードと美麗な足技に磨きをかけゴールを量産。常にリーグのトップスコアラーに君臨し続ける、名実ともに世界を代表するストライカーとなった。ゴールに対して拘りを持ち、オウンゴールや不本意な形での味方の得点には喜びの表情を見せない。「何だって決まればいい、って考え方は好きじゃない」とのこと。

2007年6月、リーガ・エスパニョーラFCバルセロナへの移籍が決まった。バルセロナでは、本職となっていたCFではなく左サイドで起用されることに加え、プレミアリーグよりもスペースが少ないリーガ・エスパニョーラのサッカーに戸惑い、低調なプレーが続いている。


フランス代表としての実績

1996年欧州U-19選手権、決勝の対スペイン戦にて決勝弾を挙げる活躍を見せて優勝に貢献。翌97年はワールドユースマレーシア大会に出場。のちにフル代表でも共に戦うニコラ・アネルカダビド・トレゼゲらと「驚異の3トップ」を形成。アンリのプレースタイルといえば、このときはタッチライン際を徘徊し、切り込んでいくだけの単調なプレーに終わり、ここではむしろ評価はトレゼゲが上回った結果となった 1997年10月11日、対南アフリカ戦にてフル代表デビューを果たす。98年W杯には開催直前でトレゼゲと共に代表入りし、エースストライカー不在と言われた中で決勝のブラジル戦以外のすべての試合に出場、通算3得点を挙げ優勝に貢献した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki