ツービート
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ツービート(TWO BEAT)はビートたけし(本名:北野武)とビートきよし(現・ビートキヨシ、本名:兼子二郎)の2人が組んでいる漫才コンビ。1974年結成。きよしはたけしを「相棒(あーいぼう)」と呼び、たけしはきよしを「ビートきよしさん」と呼んでいる。
目次

1 経歴

1.1 コンビ結成

1.2 テレビ進出

1.3 個々での活動

1.4 現在


2 芸風

3 テレビ出演

3.1 テレビドラマ


4 映画出演

5 その他

6 脚注

7 関連項目

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経歴


コンビ結成

元々、浅草の通称「公園六区」にあったストリップ劇場で、北野武(ビートたけし)は浅草フランス座(現在は演芸場の浅草東洋館)で深見千三郎門下のコメディアンとしてコントの下積み修行を、兼子二郎(ビートきよし)は浅草ロック座で劇場進行の修行をしていた。たけしは当初、同じフランス座の同僚とコンビを組んでコントを演じたこともあったが、相方の男性が神経性の病気から入院したため、自然消滅。きよしもレオナルド熊の弟子と漫才コンビを組んで名古屋の大須演芸場に出演することになっていたが、レオナルド熊がその弟子を破門したため代わりの相方を探していた[1]

きよしは以前ストリップの幕間のコントで共演したことがあったたけしに声をかけて新たにコンビを組んだ。ここで後のツービートの前身となるコンビが結成されることとなる[2]。当初はきよしがネタを作りボケ、たけしが突っ込むスタイルだったが、コンビは全く評価されない状況が続いた。楽屋内でも師匠と弟子の縦のラインが強い漫才師の集団で、コントからの転向組という立場は彼らを浮き上がらせていた。

きよしの「やはり有名な師匠の所に居ないとだめだよ」との発案で松鶴家千代若・千代菊門下に入門し、松鶴家二郎・次郎を名乗って活動を行った。また、きよしがコロムビア・ライトの付き人経験があったことから、空たかし・きよしとして舞台に上がったこともあったが、相変わらず状況は変わらなかった(ライトが相方であるコロムビア・トップと絶縁状態にあったため青空一門ではなく個人の預かりとして芸名が青のない「空」になっている)。芸人社会の顔で人望のあった深見千三郎が一言、「たけしを頼む」と周囲に声をかけたなら事情も変わったとする見方もあるが、深見はたけしを可愛くおもいながら最後まで弟子の漫才転向を醒めた視線で捉えていた。

この八方塞がりの状況でたけしがきよしに代わって主導権を握る事となり、コンビ名をツービートと改名[3]。余りの受けなさに舞台で性器を露出したり、客に毒舌でいじるなどの追いつめられて行った行動が徐々にスタイルになり、ツービートの原型となった。しかし決定的だったのは大阪の新進漫才師・B&B島田洋七との出会いである。後に紳助・竜介も倣うシンプルで間を減らしたテンポの速い“16ビートの漫才”を見て衝撃を受け、ツービートもこれを取り入れ、たけしがひたすら猛烈な勢いでしゃべり倒し、アトランダムにきよしが突っ込む高速漫才へ変貌した所から評価が上がっていく。


テレビ進出

1970年代後半から状況は様々に変化を見せ、立川談志漫画家高信太郎らがツービートを評価し出し、所属事務所も太田プロダクションへ移籍し、1975年に東京12チャンネル(現・テレビ東京)の『ライバル大爆笑!』でテレビ初出演。

大阪で興ったB&Bに加え、テレビ『ヤングおー!おー!』に出演していた若手達のコンビ、そしてツービートなど、以前とはスタイルの違う新世代の漫才師を一つのムーブメントとして過去の“漫才”から一線を画する意味で“マンザイ”、“MANZAI”としてフジテレビで『THE MANZAI』(全11回で終了)として番組に構成。

これらのメンバーを中心に、1979年頃より1981年頃にかけて漫才ブームと呼ばれる社会現象になった『THE MANZAI』の出演者は、服装もツナギ(紳助・竜助)やコンビロゴの入ったスウェットシャツ(B&B)、DCブランド(ツービート)、アイビールックザ・ぼんち)とバラエティに富み、アイドル性を加味している。ただし、ツービートの2人は他の若手が20代だったのに対して既に30代に突入しており、外見的にも業界用語でいう「汚れ」であって[4]、アイドル人気ということでは一歩遅れを取っていた。さらに、ツービートはテンポが速いのみならず、“毒舌”と評される“ジジイ・ババア・ブス”をはじめとした単語を多用し、それまでは穏和で、ある意味媚びたスタンス漫才師が一般的であった背景からコンサバ層(婦人、壮年、高年齢層)には受け容れられず、“THE MANZAI”出演当時も事実、人気は5番目あたり(本人談)に位置し、当時はほぼ完全に若手サラリーマンや大学生と言った新しい刺激やスタイルに直感的に敏感な世代のみに支持されていた。 後にテレビ番組『ダウンタウンDX』でゲスト出演の紳助が「実際はB&Bと紳助・竜助、ツービートだけが新しいもので他は既存のものであった」と語る通り、このB&Bに触発された合計3組のコンビが目立っていた。

『THE MANZAI』は当時関西ばかりにタレントが揃い、東京勢が稀少であった[5]にもかかわらず、きよしが漫才をやめたがっていたという事情もあり、自らの意思で第5回をもって出演を最後にしている。ツービートの漫才が浸透し要望が高まっていた頃には既に『THE MANZAI』から姿を消していたのである。漫才の舞台から姿を消すのと同時期にたけしはソロ活動を開始。1981年1月1日からのニッポン放送『ビートたけしのオールナイトニッポン』では深夜放送のヘヴィユーザーである受験生に絶大な支持を受け、勤労層の若者は録音で愉しみ、テープを回し何度もその早口を聞き取る事を喜びとした。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki