ダレイオス1世
Dareios I
ペルシアの大王
在位紀元前552年 - 紀元前486年
別号エジプトのファラオ
出生紀元前558年頃
死去紀元前486年
王朝アケメネス朝
表・話・編・歴
ダレイオス1世 (Dareios I, 紀元前558年頃 - 紀元前486年) はアケメネス朝ペルシア第3代の王(在位紀元前522年 - 紀元前486年)。通称、ダレイオス大王。
ダレイオス(ダーレイオス Δαρε?ο?)はギリシア語形、またラテン語形ダリウス (Darius)でも知られる。聖書ヘブライ語・アラム語では ??????????? D?r?y?we?。 本来のペルシア語ではダーラヤワウ(D?rayavau-:名詞幹のみの形)。 この名は「ワウ(よきもの)を保持する者」という意味である。
ダレイオスは、全土を約20の行政区(サトラピー)に分割し、それぞれに総督(サトラップ)を配置した。その上で各地を結ぶ交通網を整備し、総督の監視や情報伝達のために「王の目」「王の耳」と称される監察官を派遣した。このように中央集権体制を整備し、エーゲ海からインダス川におよぶ最大版図を統治したことから、アケメネス朝全盛期の王と評価される。彼の時代に新都ペルセポリスが造営されたが、政治的中心はスーサであり続けた。交通網の整備は、当時としては驚異的な速度で通信や移動を行うことを可能とし、とりわけスーサとサルデスを結ぶ「王の道」は有名である。中央集権的な統治体制を整備する一方で、帝国内の諸民族には寛容な政策をとり、交易で活躍するアラム人やフェニキア人の活動を保護した。上質な金貨・銀貨を鋳造して帝国各地への流通を図ったが、その成果は限定的であったとされる。
スキタイ人征伐のため南ロシア平原に侵攻したが、スキタイの焦土作戦に苦しめられて撤退した。また、イオニア植民市の反乱を機として、ギリシアとの間で、約50年に及ぶペルシア戦争を開始させた。しかし、戦争の途中でダレイオスは死去し、戦いは息子のクセルクセス1世に引き継がれた。
彼の事跡を記したものにはベヒストゥーン碑文があり、ペルシア語・エラム語・バビロニア語によって書かれている。これはイギリス人のローリンソンが解読し、この解読を端緒として、楔型文字一般の解読への道が開けた(ベヒストゥーン碑文に記された楔形文字はペルシアで制定された表音文字であったので解読が成功した)。
アケメネス朝は、アケメネスを祖として、キュロス2世(通称、大王)のときに、リュディアや新バビロニアを滅ぼし、オリエントを統一して大帝国となった。ダレイオス1世は内乱の後、推戴されて帝位についたとされるが、この事件は、ダレイオスによるキュロスの王朝の簒奪ではなかったのかという疑念が近年提起されている。参考として、高校の世界史Bの教科書では、アケメネス朝ペルシアの3代目の王として表記される場合が多い。ウィキメディア・コモンズには、 ⇒ダレイオス1世 に関連するマルチメディアがあります。
先代:
スメルディスアケメネス朝の帝王
ダレイオス1世次代:
クセルクセス1世
カテゴリ: アケメネス朝の君主 | ファラオ | 紀元前550年代生 | 紀元前486年没
更新日時:2008年10月13日(月)17:48
取得日時:2008/10/14 10:43
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