ダマスカスはシリア(シリア・アラブ共和国)の首都。ダマスクスとも表記される。アラビア語ではディマシュク(???? Dimashq)で、別名をシャーム(????? al-sham)という。日本語の聖書翻訳の慣行ではダマスコと表記する。「世界一古くから人が住み続けている都市」として知られる。カシオン山の山麓、バラダ川沿いに城壁で囲まれた古代から続く都市と新市街が広がる。現在の人口は約200万人といわれるが、都市圏全体では400万人に迫るといわれる。
目次
1 名前
2 地理
3 歴史
3.1 古代
3.2 ギリシア・ローマ
3.3 ムスリムの征服からファーティマ朝まで
3.4 ファーティマ朝、セルジューク、十字軍
3.5 マムルーク朝の支配
3.6 ティムール襲来
3.7 オスマン帝国の統治
3.8 アラブ・ナショナリズムの勃興
3.9 近代
4 歴史的地区
4.1 ダマスカスの城壁と城門
5 交通
6 姉妹都市
7 関連項目
8 外部リンク
//
アラビア語では、この街は正式にはディマシュク・アッシャーム (???? ????? Dimashq ash-Sham) と呼ばれている。多くの人は「ディマシュク」と短縮するが、ダマスカス市民やシリアほかアラブ圏の人々「アッシャーム」の別名で呼ぶ。「アッシャーム」はアラビア語の「北」を語源とし、シリア(特に、歴史的シリアについて)のことは「ビラード・アッシャーム」と呼ぶ。英語の「Damascus」はギリシャ語のΔαμασκ??を語源に、ラテン語経由で伝わった。これらは古いアラム語の都市名でダルメセク(????? Darme?eq よく灌漑された場所)からきている。しかし、アラム人の時代以前の遺跡であるエブラの王国跡地から出土した粘土板には、エブラの南にある町を「ダマスキ」と書いており、ダマスカスの名の起源はアラム人以前に遡る可能性が大きい。
地理ウマイヤド・モスクのミナレット
ダマスカスは地中海から約80km内陸に位置し、アンチレバノン山脈で海からさえぎられている。街は海抜680mの高原の上にある。ダマスカスの位置は、北緯33度30分、東経36度18分。 ⇒[1]
城壁に囲まれた古代都市ダマスカスはバラダ川のすぐ南岸にある。その南東、北、北東の方角には中世に遡る近郊地域がある。また南西にはミーダーン、北と北西にサールージャとアマーラの各地区がある。これらの地区はもとは都市から外に出る街道沿いの、宗教上重要な墓所の近くに発生したものであった。南にはグータ (??????) という、森や田園からなる大きなオアシスがあり、エデンの園のモデルとされる場所である。
19世紀、旧市街を北西から見下ろすジャバル・カシオン(カシオン山、カインとアベルが最初の殺人を行ったとされる場所)の斜面上に近郊農村が開発された。すでに近くには、ムヒッディーン・イブン・アラビーの廟の周りにサリヒイー地区ができていた。これら新しい地域はまずクルド人の軍人たちやオスマン帝国のヨーロッパ地域(キリスト教徒に制圧されつつあった)からのムスリム難民らが入植した。それゆえ、これら地域は「アクラード」(クルド人)や「ムハージリーン」(移民)と呼ばれている。これらは旧市街から2-3km北に横たわっている。
19世紀後半から、近代的な行政・商業の中心が旧市街の西側のバラダ川の周囲、「マルジェ(牧草地)」と呼ばれる場所を中心に発生した。マルジェはすぐに近代のダマスカスの中心となる市庁前の広場の名前(マルジェ広場)となった。裁判所、郵便局、アナトリアやヒジャーズに通じる鉄道駅が、少し南の高い場所にできた。ヨーロッパ化された住宅街区がマルジェ広場とサーリヒーヤ地区の間をつなぐ道路沿いにでき始めた。新市街の商業と行政の中心地は、次第にその方向へ、北側へ移動し始めた。
20世紀になると、より新しい郊外がバラダ川の北側に開発され、旧市街の南にも広がりグータ・オアシスを侵食し始めた。1955年から、新しい街区ヤルムークが数万人のパレスチナ難民のキャンプとなった。都市計画家は南のグータの森を可能な限り残そうと考えたため、20世紀後半には主な開発は市の北部、および西部のメッゼ地区、最近ではバラダー川の流れる先の北西部ドゥンマルの谷と、北東部のベルゼの山々の斜面で行われている。