ダニエル・リオス
Daniel Rios
基本情報
国籍 スペイン
出身地マドリード
生年月日1972年11月11日(35歳)
身長
体重187cm
90kg
選手情報
投球・打席右投右打
守備位置投手
初出場MLB / 1997年
KBO / 2002年
NPB / 2008年4月1日
年俸1億800万円(2008年)
経歴
マイアミ大学
ニューヨーク・ヤンキース(1993 - 1997)
カンザスシティ・ロイヤルズ(1998 - 1999)
メキシカンリーグ(2000 - 2001)
起亜タイガース(2002 - 2005)
斗山ベアーズ(2005 - 2007)
東京ヤクルトスワローズ(2008)
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ダニエル・リオス(Daniel Rios , 1972年11月11日 - )は、スペイン出身のプロ野球選手(投手)。
目次
1 来歴
1.1 MLB時代
1.2 韓国プロ野球時代
1.3 日本プロ野球時代
2 エピソード
3 年度別成績
4 背番号
5 脚註
6 関連項目
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1993年に、マイアミ大学からニューヨーク・ヤンキースに入団し、マイナーリーグで中継ぎとして活躍。1997年に、メジャーリーグでデビューするも、この年のオフに解雇。
その後、カンザスシティ・ロイヤルズに入団し、先発に転向。メジャーで5試合投げるも、1999年オフに解雇。
2年間メキシコリーグでのプレーを経て、2002年、韓国プロ野球起亜タイガースに入団した。
韓国プロ野球時代
2002年
球団は本人を抑えとして使う予定だったが、抑えとしては防御率が高くシーズン中盤以後に先発に回された。先発転向後に好投を披露して、入団1年目で14勝13セーブの好成績をあげている。
2003年
シーズン当初から先発ローテーションに定着。勝敗は10勝13敗と落ち込んだものの、韓国プロ野球では史上初となる、外国人投手による2年連続二桁勝利を達成した。
2004年
17勝をあげ、最多勝のタイトルを?英洙(三星)、ゲーリー・ラス(斗山)と分け合い、シーズンでは大活躍した。ポストシーズンゲームでは、斗山ベアーズとの準プレーオフで第1戦に先発登板。ラスとの投げ合いになったが、2回2/3で被本塁打2本を含めて6失点。敗戦投手となり、期待を裏切った。チームは準プレイオフで敗退している。
2005年
過去3年間の好調が一転し、前半戦は不振だった。7月の時点で6勝10敗と期待を裏切り、チームが最下位に低迷する原因のひとつとなった。7月に若手左腕全炳斗らとトレードされ、斗山ベアーズへ移籍した。斗山に移籍後に調子を取り戻し、マット・ランデルの2本柱で斗山の投手陣を引っ張った。移籍後に9勝をあげ、最終的にシーズンを15勝12敗で終えた。また147奪三振は、?英洙と並ぶ最多であり、斗山の韓国シリーズ進出に貢献した。プレーオフでは1勝をあげるも、韓国シリーズでは2敗。シリーズ敗退の原因の一つにあげられた。
2006年
韓国プロ野球の外国人選手では初となる、5年目のシーズンを迎えた。この年は12勝16敗と負け越し、チームもポストシーズン進出に失敗している。
2007年
8月30日の現代戦で、韓国プロ野球の外国人選手で初の20勝をあげた。その後も2勝を加え、最終的には1990年の宣銅烈以来、17年ぶりとなる22勝をマークした。先発登板のみで22勝をあげたのは、韓国プロ野球元年の1982年OBベアーズの朴哲淳以来、25年ぶりの快挙であった。また、10月3日の現代戦では、あわや完全試合という投球で斗山のプレーオフ進出を決めている。22勝5敗、防御率2.07の好成績が評価され、シーズンMVP、最優秀防御率、最優秀勝率、ゴールデングラブ賞などタイトルを総なめにした。また、6年連続二桁勝利で韓国プロ野球通算90勝となり、外国人投手通算最多勝の記録を更新した。
オフに斗山側は年俸80万ドルの契約を提示したが、リオス側は保留。残留交渉は決裂し、斗山の所有名簿からはずれた。一時オリックスが獲得に意欲を示していたが、12月25日に東京ヤクルトスワローズと1年契約年俸95万ドル(約1億830万円)、及び一定の成績を残せば2年目の契約が自動更新となるオプション付き(2年総額は最大で380万ドル(約4億3300万円)程度の見込み)で合意し、日本でプレーすることになった。