タロとジロ
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タロ(1955年10月 - 1970年8月11日)とジロ(1955年10月 - 1960年7月9日)は日本による初期の南極地域観測隊に同行した樺太犬の兄弟。タロとジロの像(名古屋港ガーデンふ頭

南極に取り残されながら共に生存し、1年後に救出された事で有名になる。
目次

1 生い立ち

2 第一次南極観測隊

3 奇跡の生還

4 生還後

5 別の視点からみた南極の犬たち

6 参考:第1次越冬隊に同行した樺太犬一覧

7 参考文献

8 リンク

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生い立ち樺太犬訓練記念碑(2003年撮影、稚内公園。ただしモデルはタロとジロとの父親違いの兄弟)

1955年10月、稚内市にてタロ・ジロ・サブロの兄弟として生まれる。この名前は白瀬矗の南極探検の際、犬ぞりの先導犬として活躍した樺太犬、タロとジロ(タロウとジロウとも)にちなむ。

1956年昭和31年)、南極観測隊に樺太犬による犬ぞりの使用が決定される。当時の北海道には樺太犬は約1,000頭が居たが、このうち犬ぞりに適した犬は40〜50頭程度に過ぎなかった。この中から3頭の兄弟を含む23頭が集められ、稚内で訓練が行われた。このうちサブロは訓練中に病死する。


第一次南極観測隊

1956年(昭和31年)11月、総勢53名の第1次南極観測隊隊員がタロ、ジロを含む22頭の樺太犬と共に東京湾より南極観測船「宗谷」で南極へ出発。「宗谷」には暑さに弱い樺太犬達の為に、赤道越えの為の冷房室が特別に用意された。隊員のうち11名が第1次越冬隊として選抜され、この中で最年少の北村泰一(当時京都大学大学院生、のち九州大学名誉教授)が犬係を任じられる。病気などで帰国する3頭を除いた19頭の犬たちは1957年の第1次越冬隊において、犬ぞり曳きなどに使役された。越冬中に2頭が病死、1頭が行方不明となる。また雌のシロ子はジロなどとの間に8頭の仔を産んだ。

1958年2月、第2次越冬隊が天候の悪化から昭和基地に到着できず、第1次隊員は小型雪上機で宗谷に帰還したが、15頭の犬は犬ぞりに首輪で繋がれたまま置き去りにされた。尚、南極生まれの仔犬と、その母犬のシロ子は、母と仔の分だけ燃料を抜いて重量を減らすという雪上機の乗員の機転によって救出され日本へ帰還した。その後もぎりぎりまで天候の回復を待ったが、「宗谷」自身が遭難する危険性が出てきた為、第2次越冬隊の派遣を断念。残された犬達の生存は絶望視され、観測隊は犬を置き去りにした事で激しい非難を浴びた。7月大阪府堺市に15頭を供養する銅像(樺太犬慰霊像)が建立される。


奇跡の生還

ところが、1959年1月14日、第3次越冬隊のヘリコプターにより、上空から昭和基地に2頭の犬が生存している事が確認される。着陸すると駆け寄ってきて操縦士に寄ってきたが、大きく成長していて、どの犬だったのか判別がつかなかった。急遽、1次越冬隊で犬係だった北村が次の機で基地に向かう事になった。犬達は北村に対しても警戒していたが、頭を撫でながら次々と犬の名を呼び掛けると、1頭はタロの名のところで反応して尻尾を振った。もう1頭もジロの名に反応した事から、この兄弟が生存していた事が確認されたのである。

基地には7頭の犬が首輪に繋がれたまま息絶えており、他の6頭の消息は知れなかった。基地に置いてきた犬の食料や死んだ犬を食べた形跡はなく、アザラシの糞やペンギンを食べて生きていたのだろうと北村は推測している。北村らは3次隊越冬の際、タロとジロが2頭でペンギンを捕獲するところを目撃している。

タロとジロの生還は日本中に衝撃と感動とをもたらし、2頭を称える歌『タロー・ジローのカラフト犬』(しばざきそうすけ作詞、豊田稔作曲)までもが作られたほどである。更に日本動物愛護協会によって、当時開業したばかりの東京タワーに15頭の樺太犬記念像(製作者・安藤士(忠犬ハチ公像の彫刻家))が設置された。

第3次隊にはペットとして樺太犬3頭が同行していたが、第4次越冬隊では更に11頭の樺太犬が参加する事となった。


生還後

1960年7月9日、 第4次越冬中にジロが昭和基地で病死。享年5。タロは第4次越冬隊と共に、1961年5月4日に4年半振りに日本に帰国。1961年から1970年まで札幌市北海道大学植物園で飼育され、1970年8月11日に老衰のため14歳7か月で死亡。人間でいえば約80〜90歳という天寿を全うしての大往生であった。死亡後は同園で剥製として展示されている。一方ジロの剥製は東京・上野の国立科学博物館に置かれていたが、極地で病死した状態から剥製にされた事もあって損傷が激しく、簡単に動かす事ができなかった。

1982年、タロとジロの生存劇を描いた『南極物語』という映画が制作され、翌年公開された。樺太犬が調達できない為、南極観測に最も多く用いられたエスキモー犬で代用された。この映画の影響もあり、タロとジロの剥製を一緒にさせてあげようという運動が起こる。これを受けて、1988年9月2日から17日間開催された稚内市青少年科学館での「タロ・ジロ里帰り特別展」で、タロとジロの剥製が初めて同じ場所で陳列された。また2006年7月15日〜9月3日まで上野の国立科学博物館で開催された「ふしぎ大陸南極展2006」でもジロと共に剥製が展示された。

1984年には、テレビ東京で放送された宗谷物語でも、タロとジロについて描いている。

またタロの血を引く子孫の犬が日本各地に散らばっている。


別の視点からみた南極の犬たち


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:Mamenoki